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いま開催中のラグビーのワールドカップ日本大会については、その招致に強力に動いたのがあの森喜朗氏だという話を前に耳にしたことがあるので、あんまり良い印象を持っていない。日本が予選リーグでアイルランドやスコットランドといった伝統国を破って決勝トーナメントに進んだのは立派。しかしスコットランド戦のあと「年間の合宿日数が240日」なんて聞いたときはいささかゲンナリもした。 とはいえ、その日本ースコットランド戦をTVで視て、なかなか熱が入ったのも事実である。ラグビーというスポーツそのものは、魅力があると思った。ボールを持って相手方陣営に突進していく、そのがむしゃらさが爽快だ。あんなに取っ組み合って、よく乱闘が起きないなと感心するのだが、手を絶対に使えないサッカーと違って、試合そのものが乱闘みたいなものだから、その中で力を出し切れば遺恨はかえって残らないのかもしれない。 そのサッカーといえば、酔流亭が少年だった頃、学校で一番人気のスポーツといえば、これだった。中学二年生だった1968年はメキシコオリンピックのあった年で、このとき日本男子サッカーは銅メダルを獲っている。サッカー人気が一番高まったのがこの頃ではなかったろうか。我が校でもサッカー部員たちは肩で風切るようにしていたものだ。いっぽう、ラグビーは同好会はあったけれども正式のクラブではなかったように記憶する。 なぜラグビーに限って同好会であってクラブではなかったのか、その理由はわからない。あるいは、競技そのものが乱闘みたいな激しさであることが関係していたのであろうか。 なお酔流亭は中学一年から高校一年までは水泳部に所属し、高校二年から卒業までの二年間は社会部にいた。 ところでラグビーの話題だと思い出す人がいる。ずっと前、神田の蕎麦屋[まつや]でたまたま相席になったWさんである。お互い、手酌で清酒を飲みながら、ひと言ふた言、言葉を交わすうち、なんとなく気が合った。そのころ酔流亭は週に一度は[まつや]で飲んでいたし、Wさんはその時期はそれ以上の頻度だったようである。それで、待ち合わせたわけではないのに相席になることが二度三度とあった。酔流亭は白い徳利を燗でもらう。Wさんは燗は好まず、常温で飲んでいた。 Wさんは年齢は酔流亭より一回りほど上だった。ラグビー観戦が好きで、ことに明大ラグビーを愛しておられた。Wさんも明大のOBである。そのころ明大ラグビーは北島監督のもと学生選手権では無敗を誇っていた。 Wさんは[まつや]を終生愛していたが、おそらく仕事の都合があって、一時期ほどの頻度では寄れなくなったようである。[まつや]で相席することはじきになくなった。でも年賀状のやりとりはずっと続いた。詩歌では若山牧水が好きで、 足音を忍ばせて行けば台所にわが酒の壜は立ちて待ちをる という牧水の歌を、これは年賀状ではなく、もう少し長い手紙の中に書き写してきてくださったことがある。そんなふうに、[まつや]で顔を合わせることはなくなっても時おり文通があった。 さきほど「終生」と書いたのは、Wさんはすでに故人だからだ。今の酔流亭くらいの年齢のとき亡くなられた。つまり60代なかばくらいだったろう。病死だった。 今も[まつや]で飲んでいるとき、自宅の台所に足をしのばせて夜中に独り酒をやるとき、Wさんのことを思い出す。そしてラグビーW杯のTV中継を視ているときも。
by suiryutei
| 2019-10-17 09:29
| スポーツ
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