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HOWS(本郷文化フォーラムワーカーズスクール)講座の一環として開催されている『神聖喜劇』読書会の【ニュース】第8号を戴いた。内容は1月25日に行なわれた8回目の読書会の報告である。 当日の報告者だった添田直人さんの寄稿は今回も力作だ。 酔流亭も「印象記」を寄稿したので、全文を転写しておきます。 ![]() 添田直人さんの報告でことに印象に残っているのは、映画『男はつらいよ』の或る場面についての言及である。 さりげない一場面なのである。1981年公開のシリーズ第21作だ。お馴染み、妹さくらの夫である印刷工の博が、着替えと一緒に月刊誌『世界』を脇に抱えている。 その頃この雑誌には、T・K生署名による「韓国からの通信」が連載されていた。当時の韓国は軍事独裁政権下にあって民主化を求める人々は厳しい弾圧に呻吟していた。蜂起した民衆に軍隊が突入して多くの死者を出した光州事件は前年1980年のことである。添田さんの報告レジメから引用すれば 「私は毎号これをドキドキしながら読みました。このころは光州蜂起の後、独裁政権の弾圧がひどく韓国国内では闘いの情報が切断され皆無に近かったので、『世界』に掲載された『韓国からの通信』が書かれた日本から韓国に入って情報を知るという動きがあったのです。私が毎月これを読むのと同じ内容を韓国の闘う学生が読んでいることを感じていました。その『世界』を、博が持っているカットが上映されることによって、その映画を見る日朝連帯闘争を闘う観客は共感するのです。きっと、<異議なし>とつぶやいたと思います。」 山田洋次監督は、松竹喜劇映画とはおよそ場違いなあの雑誌を、チラリとながらあえて大写しすることによって隣国の民主化闘争への連帯の思いを顕わしたのであろう。『神聖喜劇』には、町の本屋に入った東堂太郎が『世界』ならぬ『中央公論』を、他の兵士たちが見ている前で購入する場面がある(第三巻の「大船越往反」のところ)。添田さんは、あの映画の場面との相似性をここに見る。 「東堂が『中央公論』を他の兵士の面前で購入したのは、あえてそうしたのであって他の兵士の中に闘う部分がいることを見せて、反応をうながしたのです。」 内省と懐疑をくりかえしながら虚無主義を脱しつつあった東堂が、あの時点でそこまで目的意識的であったか私には確言できないけれど、映画のあの場面に胸を熱くしたことにここで思いを至らせる添田さんの感性は、優れた実践活動家のそれだと思う。 そのとき東堂が購入した『中央公論』には偶々、某新聞社の最近帰国した元モスクワ駐在員の論考『独ソ戦とソ連の大衆』が掲載されていた。ドイツ軍の電光石火の侵攻によって敗戦また敗戦、土俵俵にまで足がかかったソ連。しかし、その絶体絶命のところからふてぶてしく焦土抗戦に立ち上がりつつあるソビエトロシアの人々。その様子を元モスクワ駐在員は慎重な筆の運びながら伝えている。左翼というのではないが、スラヴ魂といったようなものに惹かれてソ連ならぬロシア贔屓の同年兵・曽根田に、東堂はその論考を読ませたりする。そうした行動が東堂の仲間作りになっていくのである。私はこの小説を読み始める前は、特異な個性(超人的記憶力)の持ち主が孤立を意に介せず闘っていくようなイメージを勝手に抱いていたのであったが、誤解であった。「食卓末席組」と括られる東堂の仲間たちがそれぞれに魅力的である。東堂と生源寺との関係にコミュニストと良心的ブルジョア・デモクラットとの協力関係を思うのは見当違いであろうか。 それにしても、前記『独ソ戦とソ連の民衆』を巡る記述から窺い知れるのは、ファシズムが打倒されることをこいねがいながら、しかしその実現可能性には絶望していた人々をソ連の土壇場からのふんばりがいかに励ましたかということだ。自らが関わっていた非合法の反戦活動を治安当局の弾圧によって一撃の下に叩き潰された経験を持つ東堂が、そうして陥った虚無主義から脱していく背景に独ソ戦の帰趨は決して小さくはないのである。すこし先走れば、第五巻に「私のドイツ・ソ連戦争観は、私の虚無主義のいわば『函数』であるらしかった。逆の関係もまた成り立ち得なくはないのかもしれなかったが」という東堂の述懐が出てくる(第二、模擬死刑の午後・続)。ロシア贔屓の曽根田に形象されるような「民衆兵士の蒙昧さと楽天性からくるある力強さ」(ニュース6号掲載の渥美博さんの文章から引用)とヴォルガの大河に擬せられるようなソ連人民の悠然さとは通じ合うものがあるらしい。 被差別部落出身の冬木照美二等兵の行動と心理を、狭山差別裁判の被告・石川一雄さんの場合を引きながら考察したのは今回の報告のユニークな、そして優れた点である。先述した「実践活動家の優れた感性」がここでも光る。添田さんは狭山差別裁判糾弾闘争に学生のときから関わってきた。 発生した「剣鞘すり替え事件」で冬木冤罪を阻止に動く東堂をわれわれは次の第五巻において目にするだろう。そこへ向けて重要なのは、通奏低音のように繰りかえされる東堂の懐疑と内省だ。報告は「省察の変遷、東堂の『懐疑』、内省の意義」という項(レジメ16ページ)を設けてそれに論及した。しかし、討論では全体に発言は活発だったのに、この部分についての言及は参加者から少なかったのは、当日の進行を務めた私として反省しなければならない。 ![]() 次回はいよいよ最終回。文庫版第五巻の後半を読む。 会場はHOWSホール(東京都文京区本郷3-29-10) tel 03-5804-1656 午後1時から開催です。
by suiryutei
| 2020-03-02 08:46
| 文学・書評
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