新人事制度 大阪での報告①~③
最新の記事
タグ
労働(124)
辺野古(46) 郵便局(43) 文学(31) コロナウイルス(31) 韓国(19) 朝鮮半島(12) 映画(11) NHK朝ドラ(10) ひよっこ(9) 大西巨人(9) なつぞら(8) 神田まつや(8) 労働者文学(8) 神聖喜劇(7) 関西生コン労組(6) 狭山事件(6) ブレイディみかこ(6) ケン・ローチ(6) 蕪水亭(6) 最新のコメント
記事ランキング
カテゴリ
以前の記事
2024年 03月 2024年 02月 2024年 01月 2023年 12月 2023年 11月 2023年 10月 2023年 09月 2023年 08月 2023年 07月 2023年 06月 more... ブログジャンル
画像一覧
検索
|
中断していた『未来への大分岐』メモを、やはり仕上げてしまわないと気持ちが落ち着かない。 というわけで、3人目に登場するのはイギリスの経済ジャーナリスト、ポール・メイソンである。 「資本主義の終わりを想像するより世界の終わりを想像する方が簡単だ」とか「資本主義のオルタナティヴは存在しない」といった、今や広く浸透してしまった思い込みをポール・メイソンが肯わず、「コンドラチェフの波」が変調したことを引きながら「情報技術による経済は、資本主義と共存できない」と明言しているのは、この三番目の対談の積極面である。経済が非物質化していけばいくほど、利潤を汲上げる源泉であるところの生産過程は狭まっていく。利潤を上げることを動機にして回る資本主義は成り立たなくなっていくのである。「資本主義の行き詰まり」については誰もが口にするけれども、このシステムはもう終わり、とまで確言する人は、そう多くない。 したがって対談のキーワードとなるのは<ポストキャピタリズム>だ。キャピタリズム(資本主義)はどのように終わっていくのか、その後に来るものは何か。 そして酔流亭のこのメモが途中で止まってしまったのは、そのポストキャピタリズムという言葉に何かもやもやしたものが残ったからだ、と気づいたのは、12日更新記事でも触れたデヴィット・ハーヴェイの論考『COVID-19時代の反キャピタリズム運動』(雑誌『世界』6月号掲載)を読んだときである。キャピタリズムの前に置かれた「ポスト」と「反」の違いだ。 反キャピタリズムという語には、キャピタリズム(資本主義)を運動によって打ち倒していこうというイメージが込められる。ところが、ポスト・・となると、何か静的なのである。二人目に登場したマルクス・ガブリエルもそうだが、階級闘争という視点が抜けてしまう(この点、トップバッターのマイケル・ハートはいくらか違う気がする)。 対談相手の齋藤幸平は社会運動の重要さを知る論者だから、この点に突っ込みを入れるし、メイソンはそれに応えてヒューマニズムを強調する。それはいい。ところが、従来の社会主義にヒューマニズムが欠けていたという認識がまた階級闘争や政治革命を忌避する方向に働くのである。 このあたり、まことにむずかしい。5日にTV放映された映画『ドクトル・ジバコ』は、ロシア革命後の内乱の中で翻弄される人々を描いていて、ああした状況の中でもヒューマニズムを貫くことの困難を思う。だが、だから革命なんかやらないほうがいいとも酔流亭は思わないのである。また、あの映画に登場したジバコ医師にしても状況に翻弄されるだけでなく、それに誠実に向き合ってもいる。彼はボリシェビキには入党しないが、赤軍の医師として多くの人命を救った。 話が横滑りしてしまった。酔流亭としては、対談相手を務めた齋藤幸平の新しい論考を次は読んでみたい気がする。上記デヴィット・ハーヴェイの『世界』掲載論考に「物質代謝」という言葉があり、これはもしかしたら齋藤の論考(『大洪水の前にーマルクスと惑星の物質代謝』)から示唆を受けたのかともちょっと思ったのである。
by suiryutei
| 2020-05-15 10:01
| 文学・書評
|
Comments(0)
|
ファン申請 |
||