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『1945年の精神』という映画を観る機会に恵まれた。監督はケン・ローチだが、ドラマではなく記録映画である。 イギリスでは第二次世界大戦が終わった1945年の総選挙において、戦争を指導したあのチャーチル率いる保守党を破って、まさかの労働党アトリー政権が誕生した。 アトリー政権は鉄道や炭鉱など重要産業の国有化を進め、医療・保険を充実させていく。「ゆりかごから墓場まで」とひところ言われたイギリスの手篤い福祉制度はこの時期に確立した。これが映画のタイトルとなった「1945年の精神」だ。その様子を映画は当時の実写や人々の証言によって映し出していく。さらにその後、政権を取り戻した保守党の下で、ことに1970年代にサッチャー政権が誕生してから、それら戦後の成果が切り崩されていく様子も。 ![]() 映画館ではなく、さる講座の会場で観たのである。いい映画であり、上映を企画した人たちに感謝したい。講座であるから、映画のあと短い時間だが感想を出し合った。酔流亭も発言した。 本当はその場でじっくりディスカッションできればよかったのだけれど、長時間では「密」になるということでそれはできなかった。だから、その場で出された発言のいくつかについて不同意点をここで書いておきたい。 映画がアトリー政権の外交に触れていないことに不満を述べた人がいる。総選挙で労働党が勝利したからといってイギリスは社会主義国になったわけではなく、イギリスは西側陣営のそれも中心的なひとつである。だからアトリー政権の外交もそれに規定される。私たちが使う言葉で言えば、それは帝国主義的なものである。たしかに。 だが「1945年の精神」とは、この年のアトリー労働党政権成立によって人々の生活が大きく改善する方向に道が開かれたことを指してイギリスでは働く人々の間で言い伝えられてきた理念と酔流亭は理解している。いま手元に本がないので確認できないが、ブレイディみかこさんの『労働者階級の反乱』という本にもそう書いてあったように思う(1945年の精神という言葉があるのをこの本で知った)。ケン・ローチ監督は映画の限られた上映時間をこのテーマに絞っただけの話であって、イギリス帝国主義がやることに無批判なわけではない。 国有化にしても、人民の利益だけを考えて行なわれたわけではなく、国家独占資本主義的再編という面もあったことは映画そのものが率直に映し出している。くりかえすが一度の総選挙で社会民主主義政党が勝利したということであって、イギリス国家の階級的性格が変わったのではない。そうした状況の下で、人民の闘いと労働党内閣が結びついて変革への道が切り開かれようとしたことこそが重要なのである。残念ながら、イギリスの戦後史はその方向を進めるほうには続かず、次回1951年総選挙ではチャーチル保守党が政権を奪回した。国有化も、その下では人民的性格よりも国独資的性格が前面に出たろう。それでも国民保険サービス(NHS)は切り崩されつつもまだ全く崩壊したわけではないらしいのは、ブレイディさんの近著『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』からいくらかは窺い知れる。 イギリス国内でそうした変革を可能とした資力は同国が世界に持っていた植民地からの収奪・搾取によるのはそのとおりだ。その構造への批判はフィルムを改めて取り組まれるべきことだろう。 たとえばカール・マルクスの『賃労働と資本』について「ヘーゲル観念論哲学への批判が無いから物足りない」とか、フリードリッヒ・エンゲルスの『フォエルバッハ論」を指して「剰余価値説を展開していないから欠陥がある」と不平を鳴らす人がもしいたとしたら、なにをピントがずれたこと言っているんだと思わないであろうか。扱っているテーマが違うのに、別のテーマを持ち出して「これを言ってないじゃないか!」というような難癖は。 敢えてこんな例を持ち出したのは、その講座に来ていた人たちはマルクス主義の立場に立とうとする人たちだと知っているからである。酔流亭もまたその立場に立ちたいと思う。しかし、あんな見当違いな論難はマルクスのやり方では決してない。 映画の終わりのほうでオキュパイ運動(ウォール街占拠)に肯定的に触れているのを「街頭主義の方向」と難じた人もいる。あそこ(映画制作は2013年)で重要なのは、同じ時期にあちこちで澎湃として起きていた人々の闘いに連帯を表明することだ。オキュパイ運動の敗北については、誰よりも運動参加者たち自身が反省と総括を深めていることを先日このブログでも紹介したマイケル・ハートと齋藤幸平の対談から酔流亭は覗うことができた。頭の中だけの知識をふりかざして切って捨てるのもマルクスの方法ではなかろう。 酔流亭が感銘を受けた場面のひとつは、映画に登場する証言者の中に1381年の農民一揆におけるジョン・ポールの名前を挙げて、歴史につねにあらわれてくる解放を求める人々の闘いに触れた人がいたことである。それは感動的な発言であった。一揆はワット・タイラーの乱として知られる。ジョン・ポールはタイラーとともに一揆の指導者の一人。一揆は惨たらしく鎮圧されてポールもタイラーも殺されるが、こうした闘いを経てイギリスの農民は農奴から自営農民へと歩を進めていく。そこからやがて『資本論』にも詳しく分析されている独立自営農民(ヨーマンリー)が育っていくのである。 いい映画であった。しかし、映画のあとの討論に酔流亭はかなりの違和感を持った。
by suiryutei
| 2020-05-25 08:44
| 映画・TV
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Comments(2)
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おはようございます。
今朝の通信、一読してさすが酔流亭さんと思いました。 昨日5・24日付け「赤旗」に、英国ジョンソン首相の「社会というものがまさに存在する」という発言をして、注目されているという記事が一面に載っています。何をいまさら馬鹿げたことを思ったのですが、これはかつて「社会なんて存在しない」と断言したサッチャー発言への否定だというのです。 ジョンソンは自身がコロナ禍に遭って、危うく生還した体験をもとに認識を改めたようです。そして、新自由主義の申し子である首相がいま「国民保険サービスを守れ!」と発言しているのです。 もちろん、首相自身の保守的・体制的イデオロギーに大きな変化はないでしょうが、この微妙な変化を見逃してはいけないのでは、と思った次第です。まさに「45年のスピリット」がジョンソンを死の淵から救ったのです。
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牧子さん、コメントありがとうございます。昨日は帰宅が深夜になったためコメントをくださったのに気づかず、返信が日をまたいでしまいました。
最近のイギリスの状況から目を離せませんね。労働党首を退いたとはいえコービンというユニークな政治家がいるし、ブレイディみかこさんという格好の報告者がいます。そしてケン・ローチの映像から教えられます。
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