新人事制度 大阪での報告①~③
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<全逓文学・その後の会>が発行する【A・Z通信】の第38号(6月1日発行)に寄稿した文章を転写します。少し長い(6000字ちょっと)ので2回に分けます。 二〇一七年に放送されたNHK朝ドラ『ひよっこ』の再放送が始まったのは今年一月の末だった。新型コロナウイルスの不安が拡がり始めていた。国内最初の感染を厚労省が公表したのは一月一六日である。パンデミックの憂鬱な日々にあって、夕方四時台の放送を録画しておいて晩酌のとき視るのは私のささやかな愉しみになった。そろそろ終盤が近い。 有村架純が演じるヒロイン・矢田部みね子は、ドラマがスタートしたとき高校三年生である。茨城県の奥のほう(奥茨城村という地名は架空)の農村で生まれ育った。級友には東京で就職する者もいるけれども、彼女は高校を卒業したら実家で農業を手伝うつもりだった。父親の実(沢村一樹)はほぼ通年、東京に出て建設現場で働いているからである。帰ってくるのは正月の他は初夏の田植えと秋の稲刈りの時ほんの数日だけだ。時代は一九六四年。東京オリンピックに向けて首都は建設のラッシュが続く。
六〇年代の東京で
ところが五輪開催も迫ってきた秋、父の実が失踪してしまう。みね子は急きょ進路を変更して高校を卒業するや集団就職の列車に乗って東京に出る。向島の町工場で働き出した。トランジスタ・ラジオを作る工場である。労働組合の存在が覗えないのは残念だが、日本の労働組合の組織率は現在より高かった一九六〇年代でも三〇%台なかばなので、あの工場に組合が無いのはドラマとして不自然な設定ではない。 みね子たち工員は工場に隣接する寮で生活して、女子寮にはコーラス部があり、近くの工場で働く青年が週に一度コーラスの指揮棒を振る。彼は恋人と映画を観に行っても、白人が先住民族(インディアンと誤って呼称されてきた)を「やっつける」ような展開の西部劇だとその不当に憤るような、左翼的気分横溢な若者である。失踪した実をさがすのに協力してくれる若い警官と彼が初めて顔を合わせたとき、相手が警官と知って思わず身を隠そうとしたのは、街頭デモで警官隊に追い散らされた経験があるからだろうか。この時代なら六五年の日韓条約反対デモに参加したかもしれない。重要な登場人物というわけではないのだが、彼の存在は労働組合が登場しないのをいくらかは補うような気味合いがあった。 ともあれ、この寮のコーラス部の合唱がよかった。「見上げてごらん夜空の星を」、ロシア民謡「トロイカ」・・・。乙女たち(寮は「乙女寮」と名付けられていた)の美しいハーモニーである。 しかし、一九六五年の暮れが迫るころ、東京オリンピック後に襲ってきた不況を乗り切れずに工場は倒産してしまう。高度成長期(一九五五年~七三年)を通じて唯一の不況であった。 工場が閉鎖され機材が運び出される場面が忘れがたい。寮でみね子と同室の女工員の豊子が「いやだ!」と叫んで一人工場に残り、内側から鍵をかけて立て籠もろうとするのだ。結局は仲間たちに説得されて出てくるのだが、労働組合がもしあったなら職場占拠→自主生産へと進んでいったかもしれない闘いの可能性、萌芽を見るよう。 この突発事に初めは「こっちだって時間が決められているんだ」「出てこないなら押し入るぞ」と不平顔だった機材撤去の作業員たちも、同じ働く者として、職場を奪われる者のかなしみはわかる。撤去作業が終わった後、かれらと女工員たちがお互い目を見つめ、頭を下げあってねぎらい合った場面は、労働者同士の気持ちの通い合いといったものが感じられて強く印象に残った。 このあと、みね子は赤坂にある[鈴ふり亭]という洋食屋でウェイトレスとして働くようになる。この[鈴ふり亭]は、実が失踪するすこし前、出稼ぎ生活の中で珍しい贅沢だったのだろう、ふと入店してハヤシライスを食べた店である。このとき店の人たち(女店主を演じたのが宮本信子、その息子のシェフ役が佐々木蔵之介)に親身なもてなしを受けたことから[鈴ふり亭]とみね子の一家に縁ができる。夫が失踪したと知らされて、とるものとりあえず東京に向かったみね子の母・美代子(木村佳乃)は、夫が失踪する前に帰省したとき持ってきた[鈴ふり亭]のマッチ箱を頼りに店を訪ねたし、みね子は東京に出て工場で働くようになってからは、月に一度の給料日が来ると[鈴ふり亭]に行って、メニューにある料理を値段の安いほうから一品ずつ注文するのが唯一の贅沢になった。最後は一番値段の高いビーフシチューに到達するのが夢である。飲食店と若い客との理想的な関係であって微笑ましい。その夢は工場倒産で未達成に終わったけれど、やがて彼女はこの新しい職場で恋をする。紆余曲折あった後、実とも再会できた。彼は建設現場で得た賃金を家に送金しようとしたところを強盗に襲われて頭を殴られ、記憶を失っていたのである。
インパール作戦とビートルズ
実の弟、みね子にとって叔父にあたる宗男に関するエピソードも心に残った。宗男を演じたのは峯田和伸。一家のことを何かと気にかけている彼はビートルズの大ファンである。ドラマが真ん中へんまで進んだ一九六六年六月はビートルズの日本公演が実現したときだ。宗男はいてもたってもいられず、奥茨城からオートバイを駆って東京にやってきた。それにしても彼はなぜビートルズに惚れ込んだのか。 戦争中、宗男はインパール作戦に従軍していたのである。ドラマのそのとき四四歳だから、同作戦が行なわれた一九四四年には二二歳だったことになる。 インパール作戦は世界戦史上でも最悪の軍事行動とまで言われている。インパールはビルマ(現ミャンマー)との境に近いインドの都市で、当時は大英帝国領。抗日戦を戦う中国への支援ルートを絶つことを日本陸軍は目指した。しかし、無茶な作戦指導によって、投入された日本軍の兵力九万人のうち命を落としたのが六万人とも七万人ともいう。日本軍が敗退していく道は白骨街道と呼ばれた。 そんな地獄の戦場で、宗男はあるときイギリス軍の兵士と鉢合わせする。相手も自分と同じくらいの年齢だ。敵兵同士だから撃ち合わなければ(殺し合わなければ)いけないところだが、若い二人はお互いに身体が動かない。 するうち、イギリス兵のほうは近くに仲間がいて、その場に近づいてくる。彼ら同士で何か言葉を交わす。宗男のほうは一人である。絶体絶命だ。 ところが、イギリス兵は「敵がいるぞ!」とは仲間に告げなかったのである。そのかわり、おそらく「異常ないです」で済ませたのだろう。そうして宗男にニコッと笑いかけ、その場を離れていったというのだ。 この別れ際の笑顔に宗男はすっかり参ってしまった。そういう戦場体験があるところにもってきて、戦後ずっと経ってビートルズが現われた。これもイギリスではないか。それでしびれてしまったのである。
『俘虜記』と『神聖喜劇』
大岡昇平の『俘虜記』を思い出した。大岡は同じ一九四四年に兵士としてフィリピンのミンドロ島に送られ、四五年一月に米軍の捕虜になる。『俘虜記』はその体験に基づいて書かれた。 まだ捕虜になる前、大岡自身である「私」はマラリアに冒され、所属する隊ともはぐれて、死をもはや避けられないものと観念する。そして、もし敵兵が目の前に現われたらと考える。撃つまいと思った。「私は生涯の最後の時を人間の血で汚したくないと思った」。 ところが、果たしてアメリカ軍の若い兵士が一人現われたのである。前述の「撃つまい」という思いにもかかわらず、「私」の右手は自然に銃の安全装置を外していた。そこは訓練を受けた兵士であり、確実に相手を仕留められる状況であった。けれども「私」はやはりそのアメリカ兵を撃たなかった。「私は溜息し苦笑して『さて俺はこれでどっかのアメリカの母親に感謝されていいわけだ』と呟いた」。 大岡はかなりの行数をとって、そのときの「私」の心理を見つめ分析していく。ごまかしも自己美化も排していくその精神の営為に私は感銘を受けた。 また大西巨人『神聖喜劇』における被差別部落出身の冬木照美二等兵のことも思う。 「いったいお前は、戦地で、どっち向けて鉄砲を撃つつもりか。・・・前向けて撃っても、うしろ向けて撃っても、どっちみち玉が当たって人が死ぬじゃろうぜ。・・・だいたい兵隊は、軍人は、人を殺さにゃー他人のいのちやら自分のいのちやらを大切にしたりなんかしとった日にゃーまるっきり成り立たんよ。・・・戦地に行ったら、お前は、どうするとか」。 下士官からそう詰められて、 「はい、鉄砲は」 と冬木は言うのである。 「前とかうしろとか横とか向けてよりほか撃たれんとじゃありまっせん。上向けて、天向けて、そりゃ撃たれます」。 殺されるよりは殺せ。戦争は、従軍する兵士ひとり一人にその選択を強いる。『俘虜記』も『神聖喜劇』も、そんなむごい選択とは違う方向を指し示そうとするものだ。『ひよっこ』における宗男と若いイギリス兵とのエピソードも、それにつらなるのではないか。 (つづく) ![]()
by suiryutei
| 2020-06-07 09:10
| 文学・書評
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