新人事制度 大阪での報告①~③
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<全逓文学・その後の会>が発行する【A・Z通信】の終刊号(12月1日発行)を数日前に戴きました。 そこに寄稿した文章を下に転写します。7700字ほどあり、一回の更新記事としてはかなり長いのですが、これは一息に読んでほしいので、全文を写します。 <全逓文学会>の歴史を引き継いできた【A・Z通信】は40号を数えます。酔流亭は全逓文学会とは直接の関わりは持たなかったにもかかわらず、終刊までの数号に寄稿する機会を与えてくださったことに感謝します。来年からは【いてんぜ通信】という新たな冊子の発行が準備されているようです。 大西巨人が戦後に書いた文学批評『俗情との結託』および『再説俗情との結託』について、小さな読書会で報告を行なう機会に恵まれた。秋も深まろうという一〇月初めの土曜日のことだ。二つの批評は、どちらも野間宏の長編小説『真空地帯』を批判的に論じたもので、前者は一九五二年、後者は一九五六年に雑誌『新日本文学』に発表された。 以下は、当日の私の報告にいくらかの修正と補筆を施したものである。当該文献は一九六九年に三省堂から出版された大西巨人批評集『戦争と性と革命』に収められているので、拙文中のページ表示はその本に拠る。
『真空地帯』のあらすじ
陸軍刑務所で二年三か月の服役を終え仮釈放となった木谷一等兵(上等兵から降格)は、敗色濃厚の一九四四年冬に古巣の大阪歩兵連隊に復帰する。木谷は逮捕される前は連隊経理室勤務の事務要員であったが、経理委員間の主導権争いに巻き込まれ、上官の脱いであった上着から財布を盗んだ疑いで軍法会議にかけられたのである(事実は外に落ちていた財布を拾ったのを着服しようとした)。馴染みの娼妓から押収された木谷の手紙に上官への不満・兵営生活の辛さが書かれていたことが反軍的とも看做された。刑務所から戻ってきた中隊では、木谷を知る者はほとんどいない。 古参兵たちは木谷がどこから帰ってきたのか詮索する。そのうち陸軍刑務所に入っていたと分かり、しかも自分たちより軍隊生活の長い最古参の四年兵であったので、班内は奇妙な空気に包まれる。ある夜、班内で監獄帰りとおおっぴらに揶揄した初年兵掛上等兵(三年兵)を散々に打ちのめした木谷は、四年兵の権威をもって班内の全員を整列させ、「監獄帰りがそんなにおかしいのかよ」と喚きながら一人一人に次々とビンタを見舞う。孤立状態のなか、木谷はもとの経理室の要員を訪ねるのだが、敬遠されてしまう。中隊事務室で人事掛の事務補助をしている曽田一等兵は、リンチや制裁がまかり通る軍隊のことを一般社会から隔絶された「真空地帯」だと思う。 木谷を厄介者と見ていた中隊人事掛の准尉は、野戦行きが内定していた補充兵の父親から賄賂をもらって、木谷を代わりとして野戦行きにしてしまう。その密談を立ち聴きした曽田から真相を知らされた木谷は中隊事務室で准尉を詰問するも相手にされない。そのあと、かつて自分を刑務所に送った経理委員だった林中尉の居室に押しかけ殴り倒す。野戦行き前夜に脱走をはかり、連れ戻され、すし詰めの輸送船で戦地に向かうところで<完>となる。 ・・ここは、ネットで拾った文章をリライトしたもので、いわばあらすじのそのまたあらすじ。私自身の文章はこの先から始まる。
『真空地帯』の二人の主人公
さて私はこの夏『真空地帯』を高校三年生の夏以来四八年ぶりに読み返して、まず素直に感動した。主人公の一人、兵士木谷が将校同士の派閥争いに巻き込まれて事実以上の重い罪を着せられていく過程、彼を陥れた将校に恨みを爆発させる場面など胸につまる。娼婦花枝に対する木谷の執着も、大西は「淫売買い」と切って捨てるが、七歳のとき父親を喪い、一三歳で母に棄てられ、孤独のうちに世間の冷たい風に吹かれてきた木谷が、客商売としてであれ親切に接してくれた花枝に恋々とする(恋愛とは違うだろう)のはわかるのである。なお遊郭に通う行為を大西が弾劾するのは全く正当だけれども、「淫売」という語は性産業に従事する女性への蔑称として使われてきた。大西はこういう言葉を使うべきではなかったと思う。 もう一人の主人公である曾田一等兵は大学出のインテリゲンチャ(兵隊にとられるまでの職業は教師)で、左翼反戦思想の持ち主である。軍隊の非人間性にとりこまれずに自分の内面をよく守っているように見える。曾田は自分の思想が発覚して軍法会議にかけられることを恐れているが、野間宏は兵役中の一九四三年、入隊前の左翼運動との関わりを詮索されて軍法会議にかけられ半年間の刑務所生活を経験している。木谷の刑務所生活も軍法会議への曾田の恐れも、作者・野間のそうした実体験を踏まえて書かれているのだろう。『真空地帯』が出版された一九五二年といえば、軍隊生活の経験者は社会のあちこちにまだたくさんいたはず。この人たちが共感を寄せたことはよく理解できる。初版三〇〇〇部が最終的には一五万部を超すベストセラーになり、同年、山本薩夫監督によって映画化もされた。 大西巨人も『真空地帯』の描写の秀抜は評価していたと思う(たとえば一四ページ「・・この作品の兵営生活の描き方は、その部分部分においては正確であり、その細部においては真実である。・・」)。一九一五年生まれの野間宏は一九四一年に教育召集を受けて歩兵砲中隊に入営、一九一六年生まれの大西巨人は一九四二年にやはり歩兵砲中隊に入営するのだから、ほぼ同じ時期に似たような兵営生活を経験している。共感したところがあったのではないか。 当時『真空地帯』に大西とともに批判的だった佐々木基一は一九九一年、雑誌『群像』での座談会(他の出席者は小田実・小田切秀雄)において、自身の『真空地帯』批判もやわらげつつ、大西巨人が当初は同作品を絶賛したと証言している。
政治と文学
私はこの佐々木発言をインターネットから「野間宏『真空地帯』と国民国家論」という論文(「立命館言語文化研究」第二七巻掲載)で知った。論文を執筆した内藤由直という人は、当時の日本共産党内の路線対立(所感派と国際派)が持ち込まれた結果、大西は本心の『真空地帯』肯定を押し殺して批判に転じたと解釈している。所感派の主導する地域人民闘争に野間が没入したのに対して、国際派の大西は地域人民闘争に厳しく批判的であった。そうした対立は文学の場では新日本文学会から分かれる形での雑誌「人民文学」の発刊→その後の新日本文学会への復帰となって顕われた。野間は「人民文学」に関わり、大西は新日本文学会の常任であった。 これがそのとおりだとすれば、政治の立場から文学に介入したのは後の宮本顕治ではなく、大西巨人その人だということになってしまう! 私はそういう解釈はとらない。日本共産党内の路線対立が背景にあったのはそのとおりだとしても、政治的な路線対立によって文学の評価を変えたという話ではなくて、路線の違いが文学の場においても争われたということだろう。問題は大西にとって『真空地帯』の何が否定されなければならなかったかだ。 まず軍隊をどう捉えるかについては、それを<真空地帯>と忌避するのではなく、そこに入り込んで抵抗を組織すべきとした大西は正しいと思う。そして大西は後に自作『神聖喜劇』において東堂太郎二等兵および冬木や曾根田や生源寺ら「食卓末席組」の兵士たちを生き生きと造形することによって野間への批判を見事に肉付けたと思う。曾田と東堂、木谷と冬木とが対比されよう。ただ大西がコミンテルン第六回大会(一九二八年)テーゼからかなり長い引用をしているのは、「・・共産主義者は、ブルジョア軍隊を『ボイコット』してはならない。彼らは、それに入り込み、その内部崩壊の客観的過程に革命的指導を与えるべき」としたテーゼの内容に疑義があるというのではなく、文学批評のやり方としてちょっとどうかという気がしないこともない。政治テーゼの言葉はこなれが悪くないか。 コミンテルン・テーゼといえば、一九五二年当時、自衛隊はまだ存在していなかった。こんにちの日本には、その存在そのものが明らかに憲法に違反する軍隊である自衛隊が存在する。「ブルジョア軍隊」をボイコットしてはならず、それに入り込めというテーゼは自衛隊に対してはどうであろうか。入り込めと言えば「違憲の自衛隊を認めるのか」という反発が護憲運動の中から出てくると予想されるが。 違憲であることを主張しつつ、併せて自衛隊内での活動に着手するという取り組みがまったく行なわれていないわけではないことは知っている。しかし、そうした活動はまだ緒に着いたばかりだろう。
『暗い絵』との関連
つぎに大西が強調する知識人と革命家の責任ということを考える上で視野に入れておきたいのは、『真空地帯』より六年前の一九四六年に発表された『暗い絵』だ。その主人公である京大生・深見進介が大学を卒業した後の姿に重なるのが『真空地帯』の曽田一等兵だからである。深見は京大の当時(一九三七年)の左翼学生グループと近い関係にありつつ、そのグループの運動の進め方に完全には納得しきれないものがある。その「正しさ」を承認しながらも、「やはり、仕方のない正しさではない。仕方のない正しさをもう一度真直ぐに、しゃんと直さなければならない。それが俺の役割だ」と思うのである。 その「仕方のない正しさ」とは「・・すぐに逮捕されるだろう。ただ旗を掲げ、旗の位置を示すだけで」というような、いわば玉砕的な闘い方と示唆されている。登場する三人の左翼学生たち(永杉英作・羽山純一・木山省吾)にはモデルがいて(永島孝雄、小野義彦、布施杜生)、京大ケルンと呼ばれた彼らの実際の運動の進め方は『暗い絵』に描かれたような玉砕主義的なものではなく、当時の状況にあってかなり粘り強いものであったという考証(たとえば湯地朝雄『戦後文学の出発』スペース伽耶、二〇〇二年)もある。しかし今は小説の世界に沿って考えていくとして、そうなると「仕方のない正しさ」ではない正しさをどう追求していったのか(あるいはそれを出来なかったのか)が深見進介の何年か後にかさなる曾田一等兵には、いや深見や曾田を造形した作者の野間宏には問われるのでなかろうか。「・・この作品で作者が書こうと追求した主題が、『知識人と革命家の責任』であるから・・」(二〇ページ)と大西が述べる所以だ。
『神聖喜劇』との対比
曾田は「軍隊の非人間性にとりこまれずに自分の内面をよく守っているように見える」と先ほど書いた。しかし、日本の侵略戦争がいよいよ激化していっているとき、左翼反戦思想の持ち主は拱手していて「自分の内面を守る」ことが本当にできたであろうか。たしかに三年兵になる曾田は上等兵に上がらず一等兵のままだ。そこに軍隊への彼の批判姿勢が覗われはする。しかし曾田を慕う二年兵の染一等兵が『共産党宣言』の書き出し(「一つの妖怪がヨーロッパにあらわれている、共産主義の妖怪が・・」)をつい口にしたのを耳にし、染の兄が共産党員(?)で刑務所にいると聞いても、曾田から染に自分の考えを示唆することさえしない。初年兵の中で気持ちが一番通じそうな弓山二等兵に、イタリアでの反ファシスト政権動揺の動きを報じる新聞を貸して感想を引き出そうとする場面がある。そもそも曾田の考えを弓山に明かしていないのだから弓山としても返事のしようがなかろう。むしろ事務室で仕事をしている曾田は人事に力をふるう准尉の助手として兵士たちから自分たちを管理する側だと思われている。大西巨人『神聖喜劇』において、東堂二等兵が入営早々「知りません・忘れました」問答を起こして自分の姿勢を明らかにしたのとは随分ちがう。 大西が指摘するように曾田は軍隊内での抵抗を初めから放棄しているのである。その代わりに、世間でも軍隊内でも冷遇されてきたアウトロー木谷の鬱憤をバネとした破壊力が<真空地帯>たる軍隊を打ち壊すのではないかと期待する。自分の左翼思想が露見することに怯える曽田が身動きのつかないことについては、軍隊経験の無い私には大西ほど厳しい見方はできない。同じ時期に兵営生活を送った大西だからこそ出来る批判だろう。いっぽう木谷への曽田の期待が虚しく、勝手なことはそのとおりかと思う。
宮本顕治の野間擁護
この大西からの批判に対して野間を擁護したのが宮本顕治である。のちの日本共産党最高指導者だが、元々は文学運動畑の人。大西評論における引用によれば宮本は「・・むしろ、曾田・木谷を今日の作者の観点からいかに批判的に描出するかという点で検証されるに価いするのである。そこに、いろいろの不備・欠陥はあるが、尚かつ木谷の自然発生的反抗の限界は描出されている。」とする(二九ページ)。 しかし、曾田・木谷がいかほども「批判的に描出」されていないからこそ大西は批判したのではないのか。「木谷の手は真空地帯を打ちこわす」(『真空地帯』第六章一四)という曽田の妄想は野間宏自身のものでもあろう。自分を陥れた林中尉に鉄拳を振るう木谷の怒りには共感する。陸軍刑務所で何度も苛烈な懲罰を受けても従順な皇軍兵士には矯正されないふてぶてしさが彼にはあるのだ。しかし、それによりかかってしまっては「知識人と革命家の責任」に欠けると言われて仕方ない。逆に言えば、革命も侵略戦争阻止もどうでもいい(『真空地帯』の物語が展開する時代、侵略戦争を阻止できるか否かは革命の成就と密接に関わっていた)と考えている人には大西の『真空地帯』批判の意味は決して理解されないだろう。
ルンペンプロレタリアとは
世間にいたときはどこに勤めても長続きせず、住み込み先を飛び出すたびに小金をくすねていたという木谷を「その反抗の性質は、ルンペンプロレタリア的そのもの」(三三ページ)と書くとき、大西の頭にあったのは『共産党宣言』における有名な定義(後述)であろう。そこでルンペンプロレタリアとは、あるいはそのエネルギーとは何かについて考えてみたい。 『真空地帯』からちょっと離れる。ルンペンプロレタリアという言葉に、マルクスの名著『ルイ・ボナパルトのブリュメール一八日』に対する西川長夫の批判が頭をよぎった。どういうことか。一八五一年、ナポレオン・ボナパルトの甥ルイ・ボナパルトがクーデターを起こして、その後一八七一年まで続く第二帝政を打ち立てる。パリのルンペンプロレタリアがこの反動クーデターに動員されたことをマルクスは『ブリュメール一八日』において激しい言葉で詰った。「あらゆる階級のくず、ごみ。かす・・・」。それを西川は「社会の底辺に生きる脱落者たちに対するマルクスの侮蔑の感情が最も露骨にあらわれた」と批判したのである(『歴史研究の方法と文学』雑誌「歴史学研究」一九七八年六月号)。 この西川によるマルクス批判には同意できない。『ブリュメール・・』より三年前、すでに『共産党宣言』においてマルクスはエンゲルスとともにルンペンプロレタリアについて、こう定義している。 「ルンペンプロレタリアート、すなわち旧社会の最下層にある、腐敗堕落した貧民もまた、場合によってプロレタリア革命運動に誘い込まれるだろう。けれども彼らの生活状態から見ると、彼らはむしろ喜んで反動的陰謀のために買収されるだろう。」 『ブリュメール・・』でのマルクスの激しい言葉は、三年前に言っておいたことがまたも現実となってくり返されたことへの歯噛みする思いから出ている。バルザックの創作『人間喜劇』を挙げて西川は「バルザックがこれらの社会のくずやごみにそそぐ視線はマルクスのそれと何というちがいであろう」と書くが、階級闘争における陣形配置(それがうまく行なわれなかった場合ときに発せられる怒声)と、一人ひとりの人間の内面に分け入って内在的に理解することとは範疇を別にする事柄だ。 どういう局面においてであれ、また誰の口から発せられるのであれ、怒号や罵声を聴くのを私は好まない。だから『ブリュメール・・』の前記箇所を読んであまりいい気持ちはしなかった。大西の前出「淫売」呼ばわりも同様。それでもバルザックとマルクスの西川のような対比の仕方は妥当ではないと思う。 野間は大西に反論して「・・何故木谷がものをぬすむようになるかという追求こそ大切なのである。木谷利一郎に無縁な大西巨人氏は、一片のパンを盗んだ、ジャンバルジャンが十九年間の牢獄生活をし、屈辱と労役とのなかで智力と社会に対する正しい判断力を得るという物語にもまた無縁な人間である。」と述べる(三三ページの引用)。やや感情的になっていたかしれない。西川長夫のマルクス批判と同様に的を外している。 なおルンペンプロレタリアとは何かについては、中野重治が一九三一年に書いた短文『ルンペンのこと』が参考になるかと思う。そこで中野は「ルンペンとはあらゆる階級からの脱落者のことだ」と述べ、「金がないとか職がないとかいうことだけで失業者とルンペンをいっしょにするものは、労働者を侮辱するものだ」と書く。そのとおりだと思う。今日ひどい場合は非正規雇用労働者をルンペンよばわりする言説さえある。とんでもない間違いだ。
報告に欠けていたもの
以上が読書会当日の私の報告である。これを下書きしておいて、ゆっくり読み進めるつもりがいくらか早口になった。読み上げながら「しまった!」と思った箇所がある。<政治と文学>と小見出しをつけたくだりの後半、軍隊をどう捉えるかというところだ。軍隊がどうのコミンテルンのテーゼがどうの、ということになってくると、話が軍隊内という枠の中にばかり横滑りしていく危険があるのではないか。 だが、考えなければならないことは、軍隊に限らず私たちが身を置いている場所で、どのように・どのような抵抗ができるか、ということだ。たとえば勤務している労働現場で、あるいは居住している地域で。その場が、現在の日本国の軍隊であるところの自衛隊である場合ももちろん排除されないけれど、そういう場合はむしろ珍しいだろう。 こうした視点で考えるとき、教えられたのは郵政労働者としての、また労働者文学会の先輩である平田文夫さん(故人)が遺したルポルタージュ『ジャガー・ノート通信』である。平田さんが勤務していた郵便局の労働現場における日々を綴った作品だ(二〇〇三~二〇〇九年、『全逓文学通信』『労働者文学』に連載)。 平田さんはその中で大西巨人の『神聖喜劇』に言及している。東堂太郎二等兵の軍隊内での闘いから、労働現場での自分の闘いの在り方を学んだというのだ。 この貴重なルポルタージュが去年春、【A・Z通信】を中心になって発行してきた三上広昭さんたちの手によって冊子になるとき、私はその巻尾に「解題」を書くという栄に恵まれ、平田さんが『神聖喜劇』に言及していることにも触れた。でも、あのときははまだ東堂の闘いの意味がよくわかっていなかった。『神聖喜劇』を読み始めてはいたけれども完読はしていなかったのだ。 だから、東堂の闘いを、かれの超人的個性に依拠した個人的なものと捉えていた。しかし、それはちがう。東堂はたしかに超人的記憶力等々で難局をくぐり抜けながら、本当に意を注いだのは集団的な抵抗を組織していくことである。そのクライマックスは、終盤、兵士虐めに抗議の声を上げた東堂と冬木に下士官による鉄拳制裁がまさに下されんとしたとき、村崎古兵のアジテーションによって仲間の二等兵たちが二人の前に立ちはだかって制裁を阻止する場面だろう。 あの「解題」の至らなかった点をいま補足しておきたい。【A・Z通信】の最終号に間に合ってよかった。 ※来年から発行される【いてんぜ通信】の試作版も送っていただきました。 ![]()
by suiryutei
| 2020-12-02 08:47
| 文学・書評
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