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昨日の朝日新聞夕刊を開いたら、市川のことがイラスト付きの地図とともに載っている。江戸川を挟んで東京都と隣接する千葉県のあの市川である。 懐かしい想いに誘われた。酔流亭は20代後半の数年間、この街にあった(今でもあるだろうか)独身寮に住んでいたからである。郵便局は当時はまだ国営であったから郵政省の宿舎である。 麻布にあった自宅[偏奇館]から空襲で焼け出された永井荷風が戦後暮らした街としても市川は知られる。昨日の夕刊記事もそれがテーマだ。 2008年8月の更新記事だから、もう12年半前になる。市川で暮らしていた頃の想い出みたいなことをこのブログに書いたことがある。夕刊の記事でそれを思い出して、いま引っ張り出して読んでみた。 市川で暮らしていた40年前を懐かしむのとはまた別の懐かしさを上の旧更新記事に思う。 文中、henryさんという人が出てくる。当時(12年半前)のブログ仲間だ。インターネットは国境を問題にしないのが便利なところ。彼女は日本人だがアメリカ人のお連れ合いとアメリカ合州国で暮らしていた。看護師であった。文学に造詣の深い人で、それで酔流亭が市川がらみで永井荷風に触れたことにコメントも寄せてくださった。 henryというブログ名は愛犬の名ということである。ブログをやめられてからは連絡のとりようがないまま今日にいたっている。まだ同じ仕事を続けているとしたら、コロナ禍のアメリカで奮闘されているだろうな。
by suiryutei
| 2021-01-26 08:08
| 文学・書評
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Comments(2)
永井荷風はふしぎな魅力をもっていますね。
おなじ東京でも,隅田川の東と西が分岐ラインとなって,地域や住む人が異なる傾向が生じていることを,なにかの折に強く感じることがあります。 その傾向とは,隅田川の西に住む人が増えるのと,東京が大きくなることとが比例関係にあるということです。 多くの人が東京の西に住むようになると,その人は隅田川の東の存在から必死に縁を切って,理解不能になっているように思うのです。 しかし,荷風はちがいますね。 むしろエスタブリッシュメントとして存在したのにもかかわらず,川の存在をキーワードにして,東へ,東へと住むところを変えていきました。 荷風の魅力の根拠には,東京の西への拡大とは正反対にむきあって,住処を変えて作品を書いてきたことにあります。もしも荷風が西にいたままだったら,あのような作品は生まれないと思うのです。
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