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一昨日(24日)のこと。『伝送便』6月号の初校作業に参加し、それから別の会合にも顔を出して(なにしろ居酒屋に行ったって酒が飲めないのであるから真面目に素面で会議でもやっているしかない)、夜遅く帰宅してようやく缶ビールをグビグビ、人心地ついたところで夕刊を開くと、東京都あきる野市にある「深沢家土蔵」のことが大きく載っているではないか。 あの五日市憲法草案が眠っていた蔵である。 五日市憲法草案が千葉卓三郎らによって起草されたのは1881年ごろ。東京経済大学の色川大吉ゼミによってそれが発見されたのは1968年の秋だから、87年もの間この土蔵の中に忘れられていたわけだ。 記事には第一発見者であった新井勝紘・元専修大学教授の言葉も載っている。草案は風呂敷に包まれて竹の文箱に収まっていたという。新井さんは色川ゼミの「牢名主みたいな存在」だったと師の色川大吉さんが話すのをいつか色川さんの講演で聴いたことがある。 その色川大吉さんの教え子さんたちで運営する市民サークル【フォーラム色川】が企画したフィールドワークに参加して深沢家土蔵を酔流亭が訪ねたのは2003年11月であった。 当時はまだブログはやっておらず、<さるさる日記>というレンタル日記に簡単にそのことを書いた。以下に貼り付けておく。 山里の風情変わらず 酔流亭の中学・高校時代、春秋の遠足といえば奥多摩の山歩きと決まっていた。下山して五日市の駅で解散ということが何度かあったと記憶する。 その頃の駅舎は木造でいかにも山の駅という感じだったけれど、現在の五日市駅は見違えるように立派である。しかし、駅の裏手から山に向かって歩き出し数分もたつと、昔のままの山里の風情となった。茅葺きの苔むした農家がまだ残っている。どこも以前は2階で蚕を飼っていたようだ。 五日市憲法草案が発見された深沢家は屋敷はすでに無く、草案が眠っていた土蔵だけが残り、やや小高いところから深沢家累代の墓がそれを見下ろしていた。 (略) 土蔵からの帰路に立ち寄った「深沢小さな美術館」が素敵だった。 (2003年11月24日記)
by suiryutei
| 2021-05-26 08:27
| 身辺雑記・自然
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