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労働者文学会が発行する雑誌『労働者文学』の第89号が完成した。 今号には労働者文学賞2021の選考結果が載っている。今年は文学賞入選作は無く、佳作のみであった。 一ページ分のコラムをそこに書いたので、転写します。 労文賛助会員である志真斗美恵さんの新著『追想美術館』(績文堂出版)にケーテ・コルヴィッツをめぐる魯迅と中野重治のエピソードが紹介されている。 一九三二年四月に治安維持法違反で二度目の逮捕をされた中野は、二年余りの獄中生活の後、共産党員であったことを認め運動から身を引くと約束して一九三四年五月に出獄した。 魯迅は一九三六年、ケーテ・コルヴィッツの版画選集を自身の手で出版した。同年一〇月一七日、そのころ上海に滞在していた鹿地亘を訪ねて、その版画選集を二冊置いていく。一冊は鹿地に、もう一冊は「日本のお友達に」ということである。その友達とは中野重治を指す。じじつ鹿地によって版画選集はその年のうちに中野に届けられた。そうして魯迅は鹿地を訪ねた翌日、喘息発作を起こし、翌一九日に五五歳で亡くなる。 志真斗美恵さんはこう書く。 「魯迅は、ナチス支配下のドイツにあって『沈黙を守ることを余儀なくされている』コルヴィッツに心を馳せ、・・(略)・・。魯迅は、『人間のための芸術』は、暴力によって屈することはない、と保護観察中の中野も励ましたかったのかもしれない。」(一七六ページ) 私は最近、内田樹の『若者よマルクスを読もう2』中国語版への序文という文章を目にした。内田の同題の著作が中国でも翻訳出版されることになり、全四巻のうち二巻目に内田が書いた序文とのことだ。マルクスを読もうと内田が若者に薦めることには共感する。しかし、治安維持法下での日本左翼の転向について、さらっとこう書き流していることには強い違和感を持つ。 「転向したマルクス主義者たちは、そのあと深刻な葛藤を経ずに、あるいは天皇主義者になり、あるいは仏教に帰依し、あるいは日本古典や古代史の研究に沈潜し、そして、その多くは日本のアジア諸国への帝国主義的侵略の(控えめな、あるいは積極的な)支持者になりました。」 この文章の前後も含めて内田が言いたいのは、日本ではマルクス主義は欧米に追いつくための情報として受容されたに過ぎず、その程度のものだから転向も弾圧によって力づくでねじ伏せられたというより、もっと納得づくで、いわば憑き物が落ちるように運動から離れたということだ。 そういうケースもなるほどあったろう。が、そればかりであったか。たとえば中野重治の苦悩と葛藤は、無視してよいものであろうか。中野はせっかくそれを『村の家』その他に書き残してくれたのに。そして彼は自らの転向を凝視し続ける一方で、日本の帝国主義的侵略を支持するようなことは警察の保護観察下にあっても一行も書いていない。 内田的言説が流布する世に、志真さんのこの本が出たのは意義のあることだと思う。 ※この1100字ほどの短いコラムは、【いてんぜ通信】第2号(今年6月1日発行)に寄稿した『日本におけるマルクス受容は』から生まれた副産物のようなもの。その文章をUPした過去記事も貼り付けておきます。
by suiryutei
| 2021-07-26 07:53
| 文学・書評
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