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一昨日の土曜、こんな講座に参加した。 写真にあるように二人の講師からまず報告があり、そのあと討論になった。 酔流亭は挙手して2度発言した。 一つは、『五勺の酒』について高橋源一郎の2017年1月朝日新聞寄稿に対する批判である。当時書いた文章の内容と同じことをしゃべったつもりなので、それを貼り付けておきます。 ただ、一昨日の酔流亭には言い過ぎがあった。上に貼り付けた4年半前のブログ記事を読んでいただきたいのだが(どうしたわけか4年半前にUPしたときから写真が逆さまに入ってしまって修正できないのですが)、当時、高橋源一郎は、中野重治が「ある中学校長の思い、という形でその文章を書いた」とは述べているのである。それを一昨日、酔流亭は高橋が「あたかも中野が評論や時評のような形で、つまり中野本人の意見であるかのように書いていた」と紹介してしまった。 これは酔流亭の記憶違いである。一昨日、講座に参加する前に自分の過去記事を読み返しておけばよかった。 しかし、これも上の過去記事を読んでいただきたいのだが、高橋源一郎は、おそらくは意図的に、読み手にそういう思い違いをさせるような曖昧さであの文章を書いているのである。酔流亭は自分の記憶違いを反省するとともに、高橋のああいう書き方はやはり問題だと思う。 もうひとつは、『五勺の酒』ではなく中野の詩『雨の降る品川駅』について発言した。【いてんぜ通信】6月1日発行号寄稿のうちの[追記]で述べたことだ。[追記]だけ抜き書きします。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・ 追記として。 中野重治『むらぎも』中の、主人公・片口安吉が東大新人会の新入生歓迎会で会員の安っぽいアジテーションに不快を覚えた場面を先ほど紹介した。中野重治本人が体験したことだろう。 その中野に『雨の降る品川駅』という有名な詩があるのは、もちろんご存じのことと思う。1928年に行なわれた昭和天皇即位式(「御大典」)のとき治安上の理由で朝鮮に「送還」される朝鮮人同志を品川駅で見送るという詩だ。その最後の連は、こうである。
行ってあのかたい 厚い なめらかな氷をたたきわれ ながく堰(せ)かれていた水をしてほとばらしめよ 日本プロレタリアートのうしろ盾まえ盾 さようなら 報復の歓喜に泣きわらう日まで
朝鮮プロレタリアートを <日本プロレアリアートのうしろ盾まえ盾> と呼んだ一行は、のちに色々な議論になったらしい。「朝鮮プロレタリアートを日本のそれの弾除けにするのか」といった批判もあるそうだ。 しかし、あの一行は、新人会の新入生歓迎会のとき朝鮮人新入生が述べた 「朝鮮プロレタリアートの解放なしには日本プロレタリアートの完全な解放はない。日本プロレタリアートの自己解放なしには朝鮮プロレタリアートの解放はない」 という言葉に対して片口安吉=中野重治が抱いた素直な感動に裏打ちされたものであったように私には思われる。インターナショナルな感情の自然な発露ではなかろうか。
by suiryutei
| 2021-08-02 08:00
| 文学・書評
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