新人事制度 大阪での報告①~③
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昨日に続いて『ワクチン接種前後の記』(『いてんぜ通信』寄稿)の、今日は後編です。
バーブラ・ストライサンド『追憶』 倍賞千恵子と同世代で、やはり女優としても歌手としても抜群の力量を持つ人に、アメリカのバーブラ・ストライサンドがいる。1942年生まれだから倍賞千恵子より一歳だけ下だ。私がワクチンの一回目接種を受ける前日の6月28日、NHKBSプレミアムで放映された『追憶』という映画(シドニー・ポラック監督)で彼女の唄う主題歌は素晴らしかった。 1973年の作品だが、描かれる時代は1930年代後半から50年代にかけてだ。バーブラ・ストライサンド演じるヒロインのケイティはまず、アメリカの大学で共産青年同盟の活発な活動家として登場する。キャンパスで開催された学生集会ではスペイン人民戦線への支援を訴えた。初め彼女に「モスクワの操り人形!」などとヤジを飛ばしていた学生もやがて聴き入って拍手を送るのに、人民戦線の時代の雰囲気を感じる。最後は妨害が入ってアジテーションをかなりぶちこわされはしたけれど。 そうして左翼の志を曲げない彼女が卒業後に働いているのが戦時下の政府機関である。なにかラジオの仕事をやっている。仕事を終えて立ち寄った酒場でロバート・レッドフォード演じるハベルと久しぶりに再会した。学生のときからの知り合いだ。ハベルはノンポリで、学生の頃もケイティがストライキの準備でキャンパスを駆けずり回っているのを横目に、ガールフレンドたちにいつも囲まれている。なにしろ半世紀前のレッドフォードが演じたのだからハベルは稀代のハンサムである。モテないわけがない。 再会を機に、ケイティのほうが積極的に、二人はいい仲になっていく。とはいえ片や闘士、もう一方はノンポリだから、当然軋み合うのだが、小説家を志すハベルの文才をケイティは見抜くし、ハベルも自分は左翼運動に関わり合わないけれども運動に没頭するケイティを包み込む包容力はある。 ケイティの部屋にレーニンやスターリンの肖像だけでなく、当時のアメリカ大統領ルーズベルトの写真も貼ってあるのが面白い。彼女の職場が政府機関であるのとともに、これがニュー・ディールの一面だったのだろう。もっとも、当時のアメリカ共産党がニュー・ディールの進歩性を過大評価してルーズベルトを仲間のように考えたのは階級的視点を曇らせた誤りだと、後に国際共産主義運動の内部では批判されもしたけれど。 ルーズベルト亡きあと(45年4月没)の戦後、政府と左翼の蜜月期は去って、アメリカことにハリウッドには赤狩りが吹き荒れる。映画の脚本を書くようになっていたハベルはこれに妥協して不本意な脚本を仕上げる。ケイティは節を曲げない。それまで軋みあいながらも相手を理解してきた二人だが、ここで人生は分かれてしまう。 それからしばらく経って、街角で二人は偶然出会う。ハベルは再婚した相手と一緒で、ケイティのほうは街頭で原水爆反対の署名運動をやっているところである。おそらくビキニ事件の何年か後だろう。同事件とは1954年、焼津のマグロ漁船<第五福竜丸>が太平洋のマーシャル諸島ビキニ環礁で操業中、アメリカの水爆実験で放射能を浴びた。半年後に無線長の久保山愛吉さんが亡くなる。ケイティが立つ背に「HIROSIMA」「NAGASAKI」と書かれたポスターや立て看板が映し出されている。 好き合っていながら一緒の人生を歩み続けることはできなかった二人である。しかし、映画では二人それぞれにリスペクトが払われている。視終って余韻が残る所以かと思う。 日本という国は
バーブラ・ストライサンドはユダヤ系の出自で、映画のケイティもそう描かれていた。ところが五輪開催を直前にした今年7月の東京では、開閉会式のディレクターを務めるはずの劇作家がナチスによるユダヤ人大虐殺を過去に笑いの種に使っていたことがわかり、開会式のわずか二日前に解任されるという事態が出来した。「ユダヤ人大量惨殺ごっこ」なんて台詞を口にしていたという。 解任は当然だが、その当人、小林賢太郎氏の「謝罪」コメントがまたよくない。「不快に思われた方々にお詫び」云々というのは、ああいうことを「不快には思わない方々」もいるというのを前提とした物の言い方である。 なるほど不快に思わない人間、むしろ喝采したがる人間は事実としているだろう。レイシストはそうだ。それを承知しているから、かつての小林氏はそういう人間には「受ける」とあてこんで、ああいう表現をしたのではないのか。 そういう人権感覚・歴史認識そのものが問題なのだ。 解任にあたって橋本聖子・大会組織委員会長の「外交上の問題も色々ある。・・」という説明も小林氏の「謝罪」と同レベルだ。「外交上の問題」とは、自分自身はなんとも思っていないけれども、それで「不快に思われた」国々もあるだろうから、面倒は起こしたくない、ということでしかない。 中山泰秀・防衛副大臣は、非難声明を出した米国のユダヤ人人権団体に「ホロコーストをギャグにするような国民だと誤解されないよう」連絡をとったそうである。だが、誤解ではなく、日本は事実そういう国なのではないか。 五輪を前に大手メディアはあまり触れなかったけれども、開催都市・東京の首長である小池百合子・都知事は、関東大震災のとき起きた朝鮮人虐殺の事実を曖昧にしている。 2016年に都知事に就任した彼女は、2018年、関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式への恒例だった追悼文送付を断り、9月1日の記者会見では虐殺の有無すら明言しなかった。その前にあったのは同年3月、都議会一般質問で自民党の古賀俊昭議員が追悼碑文にある六千余名という犠牲者数を「根拠が希薄」として、「知事が歴史をゆがめる行為に加担することになりかねず」云々と質問したことだ。これを受けての極右同士の連携プレーであった。いらい今日に及んでいる。 「歴史をゆがめ」ているのはどちらだろう。六千余名というのは、日本政府が実態調査をせず、それどころか事件の隠蔽に走る中で唯一、犠牲者調査を行なった当時の朝鮮人留学生の努力による数字である。様々な制約があって、なるほど完全に正確に把握されているわけではない。だが、それが正確に把握できないのは、殺した側が自分たちの犯罪に口をぬぐってきたからではないか。 そういう「ホロコーストをなかったことにするような」人物を首都の長に選んでいるのが日本という国である。
軍艦島の場合
折しも、世界文化遺産である長崎県の<軍艦島>では朝鮮半島から連行され労働を強いられた人々についての日本の説明が不充分であるという「強い遺憾を示す」決議がユネスコ世界遺産委員会で全会一致採択されたことが、小林氏解任を伝えるのと同日の朝刊に報じられた。 その通称から今や観光スポットとして知られる軍艦島とは、端島炭鉱のことである。長崎半島(野母半島)から4.5㎞ほどの海に浮かぶ小島で、日本の産業革命期から海底炭田として栄えた。1974年に閉山する。 1939年に閣議決定された労務動員計画の下、殖民地・朝鮮からは終戦まで約70万人が日本列島に送り込まれ、長崎県には約5万人が朝鮮半島から労働力として動員された。その中にはこの端島炭鉱(軍艦島)で働いた人も多数いる。身体の具合が悪くても休むことを許されず「はい、働きに行きます」と言うまで殴られ、逃亡して捕まればゴムのチューブで皮膚が剥げるまで叩かれた。そういう証言がいくつも残されている。 「明治日本の産業革命遺産」の一つとしてユネスコの世界文化遺産に6年前登録されるとき、だから日本政府代表も「意思に反して連れて来られ、厳しい環境の下で働かされた多くの朝鮮半島出身者らがいた」と認め、「犠牲者を記憶にとどめるための適切な措置」をとると言明したのである。 しかるに、去年都内に開設された「産業遺産情報センター」は世界遺産登録施設のうち軍艦島を取り上げて、労働の強要はなかったとする当時の関係者のインタビューを紹介している。 事実に著しく反するのみならず、6年前の日本政府自身の言明(国際社会への約束)さえ反故にしてしまった。 小林賢太郎氏の解任劇は、まさにそうした日本社会全体の人権意識の低さ・歴史に対する反省の欠如が五輪開会式をめぐっても露呈したのだ。 ところでそのころ、私はワクチンの二回目接種を受けたばかりであった(7月20日接種)。一回目の後は打たれたほうの腕がすこし痛んだだけだったけれど、今度は熱が出た。翌日の午後には38℃を超える。発熱はその翌日には収まったが。 ワクチンに感染を抑える効果があるのは確かなようだから、健康に不安のない人なら接種を受けたらいいだろうし、じじつ私はそうした。しかし、アレルギーがあるとか、健康に何らかの不安を持つ人は慎重であったほうがいいと思う。今回のワクチンは緊急性を大義に、安全性を軽視して開発・製造そして接種を急いでいるからだ。従来のワクチン以上に薬害が起きる危険がある。副反応被害について日本政府は企業責任を免責して、国が責任を負うと言う。しかし「因果関係がはっきりしない」という口実で補償をしない可能性が強いとも、前出天笠氏は指摘している。 この記事の前半はこちら
by suiryutei
| 2021-08-20 08:00
| 身辺雑記・自然
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