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三鷹事件の再審開始を求める要請書の署名欄(1枚で5人の記入が可能)を埋めることができたので、<三鷹事件再審を支援する会>に宛てさっそく送った。 労働者文学会の長老、福田玲三さんがかねてから同事件に取り組んでこられたこともあり、労働者文学会幹事会から署名協力の要請があったからだが、この事件については酔流亭は三年ほど前『歴史家・服部之総』(松尾章一著、日本経済評論社)という本の書評を『季刊・社会評論』に書いたとき自分なりにすこし調べてみたことがある。無実なのに死刑判決を受けた竹内景助さんと服部は手紙のやりとりをしていて、服部は獄中の竹内さんを何度も励ましていたからである。 上の写真は、労働者文学会幹事会から送られてきた二年前の東京新聞記事のコピー。 『季刊・社会評論』に書いた文章(「よみがえれ!服部之総」)から、三鷹事件についての部分を下に写しておく。 三鷹事件と服部 もちろんこの「人物編」にも貴重な記述は多い。中でも重要なのは三鷹事件唯一の死刑囚となった竹内景助と服部との交流の記録である。三鷹事件は一九四九年七月、国鉄中央線三鷹駅で無人の電車が暴走して駅前の民家に突入、六名が死亡し一〇数名が重軽傷を負ったことに始まる。同じころ続けて起きた下山事件や松川事件とともに米軍占領下の怪事件である。日本共産党員と国鉄労組員を実行犯人に仕立て上げようとした。しかし、裁判を通じても捜査のでたらめさは次々に明らかにされ、結局、起訴された一〇名の被告のうち九名は無罪となる。ところが、複雑なのは、共産党弾圧を企んだ事件であったのに、被告の中で唯一の非党員だった竹内景助のみが死刑を宣告されたことである。もちろん竹内だって無実なのは間違いない。彼は獄中で無実を叫びつづけ、再審申し立てをしたが、決定が出るのを待たず、一九六七年一月、脳腫瘍のため東京拘置所で死去した。 服部はその竹内と文通をくり返し、ときには金銭のカンパも行ない、励まし続けた。竹内から服部に宛てた書簡が一四通、[第二部 戦後史のなかの服部之総]という項に収録されている。服部からの手紙のほうは未収録だが、それが実のこもったものであったろうことが竹内の返信から覗われるのである。竹内の文面について「まったくの冤罪で死刑に処せられた人間の無念さと心情の激しい動揺・・・これほど赤裸々に吐露されている書簡を見たことがなかった」と松尾氏が書いているのに私も同感する。二〇一一年一一月、竹内景助のご長男が「死後再審」の申し立てを行なった。冤罪をはらす闘いは現在も続く。これら書簡はその闘いのためにも大事な資料となるにちがいない。 『季刊・社会評論』No.194掲載「よみがえれ!服部之総」の全文は、こちら。 三鷹事件について詳しくは[再審を支援する会]のHPを。
by suiryutei
| 2021-09-12 08:00
| ニュース・評論
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