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酔流亭としては珍しいことに、体調がちょっとすぐれなくて、昨日は午後から身体を横にしていた。たぶん飲み過ぎ食べ過ぎが原因ですので、たいしたことはありません。 夕暮れになって、昏くなり、虫の鳴き音が聴こえてくる。月が上ってきた。 ほぼ丸い。明日が十五夜なのだから、昨夜は満月二日前だ。丸くて当然である。金色の、きれいな月だった。 昨日は正岡子規の命日だったし、自分も病臥していたものだから、つい子規を思った。もちろん死病の床にあった子規と、おそらくは食べ過ぎが原因であろう酔流亭とでは、深刻の度合いが比べものにならない。 子規が亡くなった年(1902年)の十五夜は9月17日であった。昇天したのは19日の午前1時。そのときの月の丸さ加減は、おそらく昨夜の月と同じくらいであったろう。満月を前後して、どちらも2日である。 子規はその月を見ることができたかどうか。病床に最後まで付き添った高浜虚子が、こう詠んでいる。 子規逝くや十七日の月明に このあたりの情景は司馬遼太郎『坂の上の雲』の、文庫版(全八巻)では第三巻目の冒頭、[十七夜]という章に美しく描かれている。 ただ、司馬は子規の辞世の句三つ(下の旧更新記事参照)については、この小説では触れていない。なぜなのか酔流亭にはわからないが。 子規が死んでからの『坂の上の雲』は小説というより日露戦史みたいになってしまったとは昨日の更新記事でも酔流亭は不満を漏らした。著者が愛着する対象が正岡子規や秋山真之といった個人よりも明治の日本国家に移ってしまったふうである。 司馬遼太郎の小説家としての才能は高く評価しながらも、そうした司馬の史観とは厳しく対峙したのが、今月7日に96歳で亡くなった色川大吉さんの民衆史であった。 同じ日に訃報が届いた仏俳優ジャン・ポール・ベルモントについては、我が家の購読紙・朝日新聞ではすぐ数日後に追悼文をどなたかが書いていたのに、色川さんについてはなかなか載らないな、と訝っていたところ、今朝の文化欄に成田龍一さんがを寄せている。 成田さんは学んだ大学はたしか早稲田だったと思うが、学生時代、東京経済大学の色川ゼミに参加したことがあるという。色川さんの教え子さんたちが運営するサークルに酔流亭が初めて参加したのは2003年で、色川さんは東経大をもう退職されていた。しかし、ゼミには他大学生はもちろん普通の勤め人や主婦も参加していた、とゼミのOBから聞いたことがある。 上に写真を貼り付けた今朝の朝日新聞記事はネットでは見つからなかった。8日付け東京新聞記事に成田さんのコメントが紹介されている。
by suiryutei
| 2021-09-20 08:28
| ニュース・評論
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