新人事制度 大阪での報告①~③
記事ランキング
最新の記事
タグ
労働(124)
最新のコメント
カテゴリ
最新のトラックバック
以前の記事
2025年 07月 2025年 06月 2025年 05月 2025年 04月 2025年 03月 2025年 02月 2025年 01月 2024年 12月 2024年 11月 2024年 10月 more... ブログジャンル
画像一覧
検索
|
先週の土曜日、退院して初めて都内に出かけて行ったことは一昨日(18日)の更新記事に書いたとおり。 午前は神田にある『伝送便』の事務所に寄り、午後は本郷のHOWS(本郷文化フォーラムワーカーズスクール)にも顔を出した。 その間にお昼を摂らなければならない。万世橋を渡って神田須田町の蕎麦の[まつや]に足を運ぶ。 店の前には行列が出来ている。土曜の昼時なのだから、この人気店に行列ができるのは元々当たり前だ。しかし、先月いっぱいまでの<緊急事態宣言>中は、さすがの[まつや]にしてもそうはいかなかった。 「蕎麦屋に行けば酒を飲む。飲まぬくらいなら蕎麦屋には入らぬ」 これは、池波正太郎が遺した有名な言葉である。しかも池波が一番贔屓にしていた蕎麦屋というのが神田[まつや]なのである。 すると、どうしたって[まつや]では酒が飲みたくなる→酒を飲む客が[まつや]には来ることになる。 それが<緊急事態宣言>の間は酒を供するすることができなかったのだから、商売は大変だったろう。店の人たちはそんな素振りも見せず、いつものように明るく親切だったが。 酔流亭は<宣言>中もごくたまには暖簾をくぐって、おとなしく蕎麦一枚だけ食べていた。そうして、店で酒をまた出すことができるようになったら真っ先に飛んできて、菊正宗の熱燗を浴びるほど飲んでやろうと心中ひそかに思っていたのだ。 しかるに! <宣言>が九月いっぱいで解除されて[まつや]でも酒が出せるようになったころ酔流亭は病院で流動食を食べている身であった。退院しても、酒を飲める身体ではまだない。 しかし、熱燗の徳利を1本だけたのんだ。これは、酒解禁になったのを祝うお供えのつもりである。 そうしてお供えのお裾分けとして、小さなお猪口に一杯注ぐ。飲むのではなく舐めるようなものだ。だから徳利を空にはしなかった。ホントですよ。 それから小田巻蒸しを注文した。うどんが入った茶碗蒸しである。うどんが底にとぐろを巻いているのを苧環(おだまき、麻糸を空洞の玉のように巻いたもの)に見立てて、そう言うらしい。 そして我が病身には蕎麦よりもうどんのほうが消化にいい。退院するとき栄養士さんにそう説明を受けた。我が娘がネットで調べてくれたものにも、そう区分されている。 食べ終え、テーブルでお勘定を済ますとき、釣り銭を持ってきた若い花番さんが「お大事にと母が申しております」。 帳場に座る若女将の娘さんだった。その前に顔なじみの花番さんに「しばらく入院していて、なかなか来れなかった」と話したのがすぐ帳場に伝わったようだ。 若女将の娘さんは大学に通いながら、こうして店を手伝っている。若女将も学生のとき花番のアルバイトをしていて、卒業してじき[まつや]の今の当主の嫁になった。娘さんもあの頃の若女将と雰囲気が似ている。老舗の暖簾は、こうして家族が力を合わせて守っているのだろう。 心地よいひとときであった。
by suiryutei
| 2021-10-20 06:30
| 酒・蕎麦・食関係
|
Comments(4)
いい記事ですね、ホロっとします。
嬉し涙。
1
![]()
こんにちは うちの近所の和食店やイタリアンも客が戻ってきています。
僕が12年ほど前に内視鏡手術を受けた後は蕎麦は駄目と言われなかったのでお茶の水から猿楽町松翁に行きました。 まつやはファンが多いですね。
星の王子様さん、病院でも病院食でご飯を食べられる人は蕎麦、おかゆ組はウドンでした。
|
ファン申請 |
||