新人事制度 大阪での報告①~③
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この本については10月15日更新記事でも触れ、その記事は当の濱口さんのブログでも紹介していただきました。 書評としては、今日UPする『伝送便』誌掲載記事のほうがまとまっていると思います。10/15更新記事と併せて読んでいただければ嬉しいですが。 このごろ世に急速に拡がりながら、いや拡がればこそか、誤解が横行しているのは「ジョブ型雇用」をめぐる言説である。誤解を是正するには格好の本が現われた。そもそも著者は日本的なメンバーシップ型と対にしてジョブ型という言葉を作った人である。ただし、この対照は巧みであると同時に問題ありとも思われるのは後述する。 成果主義で能力を査定されて、ダメは奴は相手にされず、デキる人間は高額の報酬を得るーこれがジョブ型という言葉に対する世間一般のイメージではなかろうか。ジョブとは仕事という意味だから、ジョブ型といえば仕事が出来るかどうかで測られる人事制度だとつい思ってしまう。たしかにジョブ型の労働社会(著者によれば日本以外のほとんど全ての国がそう)においては、ごく一部の超エリートはそうだ。なにしろトップの企画や判断力で企業の命運が左右されてしまうのだから。しかし、大多数の普通の労働者には査定なんてない。それはそうだ。「ジョブ型雇用」というのは仕事に値札が付く。労働力商品の価格としての賃金は、その就いている仕事によって決まる。人に値札が付いているのではない。だから、ジョブ型の社会では、これもここ数年来人口に膾炙してきた「同一労働同一賃金」は当たり前の原則だ。そうでない社会ではそれは実現のしようがない。 いっぽう、日本のような人に値札が付いている雇用社会では、労働力商品の価格はその買い手(使用者)によってつねに値踏みされる。毎年おこなわれる査定がそれだ。しかも一般の労働者の「業績」は毎年あらわに違いが出るわけではないから、査定の基準は残業を厭わないとか戦闘的な労働組合には協力しないなど企業に対する忠誠心に置かれることになる。それがいかに大きな毒素となっているかは、「新人事給与制度」下にいる郵政労働者には身に沁みてわかっていることである。 本書で重要なのは、ジョブ型への誤解をときほぐす序章と第一章である。第三章で触れる「同一労働同一賃金」については、ジョブ型ではそれが当たり前だからか、あまり多くの紙幅は割かれていないが、説明は明晰だ。興味深いのは日本版「同一労働同一賃金」を推し進めようとした労働法学者、水町勇一郎氏の理論に対する推測を含めた洞察である。 日本の非典型労働者(いわゆる非正規雇用)は人基準でも仕事基準でもない。その賃金は最低賃金さえクリアしていればいいという雇われ方だから、あえて言えば最低賃金基準だ。人基準の雇用を捨てない限りは「同一労働同一賃金」など実現するわけはないと百も承知の上で、水町は非典型労働者の賃金を正規雇用の職能給(人基準である)に統一することで待遇改善を図ろうとしたのではないか。しかし、その隠れた意図は政府ガイドラインによって最終的にはやんわり否定されてしまった。 ジョブ型とメンバーシップ型とを対比させるのは、日本の雇用社会をイメージづける上では卓抜だ。しかし、日本の労働者といえども、本当の企業のメンバー(出資者)ではなかろう。包摂はされているが、それと主体であることとは違う。巧みな対比のせいで両者を混同しないよう気をつけたい。 ※10月15日更新記事は、これです。
by suiryutei
| 2021-11-06 08:00
| 文学・書評
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