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昨日の午後1時からNHKBSで放映された映画『山猫』(ルキノ・ヴィスコンティ監督、1963年イタリア・フランス合作)は3時間を超す大作である。 この時間枠の映画放映のいいところは吹き替えなしの字幕スーパー、ノーカットであること。NHKだからもちろんCMも入らない。3時間を超す放送なら、大抵は途中で一度休息が入る。過去に放映された『アラビアのロレンス』『ドクトル・ジバコ』(どちらもデビッド・リーン監督)なんかそうであった。その休息のあいだに視聴者はお手洗いに立つわけである。 ところが昨日の『山猫』ではこの休息が入らなかった。医者から水分をたくさん摂るように言われ、発病する前よりは倍は水を飲むようになった我が身としては、これはちょっと辛くて、イタリア貴族の舞踏会の場面が長く続くところで一度TVの前を離れた。 酔流亭のお手洗いの話なんてどうでもいい。映画の背景は19世紀のリソルジメント(イタリア統一運動)である。バート・ランカスター扮する主人公(イタリア・フランス合作映画なのに主役だけはハリウッドの大スターを招いた)はシチリアの大貴族だ。だから、この貴族の屋敷の中でガリバルディの名前が話題に上るときは畏怖と恐怖で語られる。このあたり、ジョン・フォードの西部劇でアパッチ族の百戦錬磨のリーダー、ジェロニモのことを白人たちが畏怖するのに、ちょっと似ている。 事実はもちろん、ジェロニモは白人の先住民迫害に対する勇敢な抵抗者であり、ガリバルディはリソルジメントにおける民衆的要素の体現者であった。ランカスター演じる主人公は旧体制の人間でありながら、リソルジメントのそうした側面を理解する聡明さも持ち合わせているようである。 しかし、ガリバルディの潔すぎる「退場」にも伴って、リソルジメントから民衆的要素は抜き取られていったようだ。アラン・ドロン演じる、主人公の甥が、はじめガリバルディに共感して貴族ながらガリバルディの赤シャツ隊(千人隊とも呼ばれる)に参加しながら、いつのまにか赤シャツを脱ぎ捨てて国王の軍隊の将校におさまっているところなど象徴的だ。 映画を視ながら、高校生のときの世界史の授業を思い出していた。イタリア統一運動について綿引弘先生に教わったのは二年生のときだ。以来、世界史上の人物の中でガリバルディは最も好きな人の一人である。 貴族たちの豪華絢爛たる舞踏会の場面は、その美しさにおいて世界映画史上の語り草になっている。本物の大貴族の末裔であるヴィスコンティだからこそ撮れた映像だと。彼の階級史観に惹かれるより美学にシビレるというのが日本におけるヴィスコンティの受容され方のようだが、酔流亭はそれをいいとは思わない。むしろ、あのエンエンと続く舞踏会の場面からは、自分が生まれ育った世界に対するヴィスコンティのウンザリ感も醸し出されているのではないか。 ※関連する過去ログとして
by suiryutei
| 2021-11-05 09:00
| 映画・TV
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