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この本と出会って、非暴力、寛容と不寛容、そして自分の活動の出発点にあったことについて改めて考えることができたのは、今年の大きな収穫であった。著者に感謝したい。 『伝送便』新年号に寄稿した書評です。 ![]() もう半世紀近く前になる。一九七二年一一月八日、早稲田大学構内において第一文学部二年生だった川口大三郎さんがリンチを受けて殺害された。自治会執行部を構成する政治党派(革マル派)の学生に対立党派のメンバーと疑われたのである。川口さんはその党派(中核派)のメンバーではなかったし、そもそも人を殺していいということがあろうか。数日後から、早稲田のキャンパスでは連日、数百数千の学生が集まって抗議行動が湧き起こった。 本書の著者、樋田毅さんはそのとき第一文学部の一年生。抗議行動の中心にいて、自治会執行部をリコールして成立した新執行部の委員長になる。そのころ彼はフランス文学者渡辺一夫の『寛容は自らを守るために不寛容に対して不寛容になるべきか』という問いかけと出会う。渡辺の答えは決まっている。寛容は自らを守るためであっても不寛容になってはならないのである。 だが、すると、短い射程では寛容は負けてしまう。寛容の武器はもっぱら説得なのだが、不寛容な相手を説得するにはおそろしく時間がかかるだろうから。あのときの早稲田でも事態はそう進んだ。樋田さん自身、鉄パイプをふりかざす相手に襲われ、一か月も入院する重傷を負った。闘いは七四年の春には暴力によって潰されてしまう。けれども、樋田さんは心身ともに深く傷つきながらも「寛容は・・」の問いを、その実行困難を骨身に沁みて知った上で手放そうとしなかった。本書の一番の価値はここにある。 私は一九七三年に早稲田の法学部に進学したから、事態にいくらかは巻き込まれた。ハンドマイクで演説する著者の髭面は何度も見ている。巻き込まれたといっても、学内集会に参加したり、教員にかけあって語学の授業から三〇分くらいを割いてクラス討論を行ない、それをふまえて法学部の自治委員会で発言したりした程度のことである。ちなみに本誌編集委員の一人、久保茂君は当時のクラスメイトだ。 文学部の樋田さんのクラスではクラスごとに選出される二人の自治委員のうち一人が革マル派に批判的な人が入ったので川口さんの事件が起きる前から自治会執行部に睨まれていたという。一学年後輩で法学部だった私のクラスでも自治会執行部主流だった民青同盟員とそれに批判的な私とで自治委員の席を分け合っていた。法学部の民青諸君は、文学部の革マル派とはもちろん違って、意見の違う相手を暴力で脅すなんてことはしなかった。論争はよくやったものだ。 樋田さんが襲われたのは七三年五月の連休明け、法学部の学生集会に文学部を代表して連帯の挨拶をした帰途であった。集会の会場にはもちろん久保君も私もいた。その報を聞いたときのショックは今も忘れられない。以後、彼は革マル派の暴力によって学内に入ることさえ難しくなった。直接の面識は無いまま、私は七五年に中途退学して郵便局で働き出す。今回本の感想をフェイスブックを通じて送ったところ樋田さんから懇切な返信をいただいた。その後どうしていらしたのかずっと気になっていただけに嬉しかった。過ぎていく二〇二一年を通して一番心に残ることの一つだ。 ![]() 『彼は早稲田で死んだ 大学構内リンチ殺人事件の永遠』樋田毅 | 単行本 - 文藝春秋BOOKS (bunshun.jp)
by suiryutei
| 2021-12-30 08:35
| 文学・書評
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