新人事制度 大阪での報告①~③
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雑誌『労働者文学』No.90(去年12月発行)に寄稿した文章を今日から3回に分けて転載します。 身辺雑記のような闘病記のような雑文です。タイトルは永井荷風の『断腸亭日乗』のもじり。荷風からのもじりといえば、そもそもこのブログのタイトル【酔流亭日乗】がそれであって、おそれおおいことですが。 ![]() 秋口の暦には詩人の命日がちりばめられている。九月一七日は牧水忌、すなわち若山牧水の命日で、一日おいて一九日は糸瓜忌だ。正岡子規の命日である。子規は一九〇二年のこの日に三五歳で世を去った。 今年(二〇二一年)のその日は日曜にあたり、朝日朝刊では【歌壇】が載る。そこに
柿好きの子規にはいつも早過ぎる子規の忌日がまためぐり来る
とあった。私が暮らすのと同じ千葉県我孫子市に住む人からである。投歌→選者による選考→毎週日曜朝刊に掲載と順を踏むわけだから、糸瓜忌当日に載るのを狙うなら少し早めに歌を送っておかなくてはならない。そのころ柿はまだ出ていなかったのだろう。我孫子では糸瓜忌の頃にはスーパーマーケットの果物売り場の一番目立つところに柿が並ぶようになっていて、我が家でもその朝この秋初めて柿を食べた。 子規は<獺祭書屋主人>と名乗ったりしたので、獺祭忌という言い方もされる。糸瓜のほうは辞世の句に糸瓜(へちま)が詠まれているからである。 その辞世は三句もある。
糸瓜咲て痰のつまりし仏かな 痰一斗糸瓜の水も間に合わず をとヽひのへちまの水も取らざりき
糸瓜(へちま)の蔓を切って液をとり、飲むと痰が切れる、咳をとめるのによいとされ、東京根岸にあった子規の家でも庭にヘチマを育てていた。とくに十五夜の晩にとるのがよいという俗信があった。子規が亡くなる二日前が十五夜だったが、ヘチマの蔓から水を取るのを忘れていた。三句目に「おとヽひのへちまの水も取らざりき」とあるのは、そのことを指す。 子規晩年の闘病生活の痛ましさを思わせるが、句はどれもカラッとしている。死に対する覚悟がとっくについていたからだろう。冒頭の「痰のつまりし仏かな」なんて自分をすでに死んだ側に置いている。 今年の糸瓜忌、私としては珍しく体調がすぐれず、午後から身体を横にしていた。夕暮れになって、虫の鳴き音が聴こえてくる。月が上ってきた。 ほぼ丸い。当然である。十五夜の二日前だった。金色の、きれいな月。 子規が亡くなった年の九月一九日は逆に十五夜の二日後である。前後の違いはあるとして、その年も今年も九月一九日における月の丸さ加減はどちらも同じくらいだったろう。子規はその月を見ることができたかどうか。病床に最後まで付き添った高浜虚子が、こう詠んでいる。
子規逝くや十七日の月明に
この「十七日」というのはもちろん日付ではなく月齢の一七日。このあたりの情景は司馬遼太郎『坂の上の雲』の、文庫版(全八巻)では第三巻目の冒頭[十七夜]という章に美しく描かれている。ただ司馬は、前記した子規の辞世の句三つについては、この小説では触れていない。なぜなのかはわからないが。そして子規が死んでからの『坂の上の雲』は小説というより日露戦史みたいになってしまった。著者が愛着する対象が正岡子規や秋山真之といった個人よりも明治の日本国家に移ってしまったふうである。 司馬遼太郎の小説家としての才能は高く評価しながらも、そうした司馬の史観とは厳しく対峙したのが、やはり九月に九六歳で亡くなった歴史家・色川大吉の民衆史であった。色川の史学については後述しよう。
病室のベッドで
さて私の体調のことである。糸瓜忌を過ぎてから増々よろしくない。腹部に差し込むような痛みが走り、のみならず腹が異様に張ってきた。こんなこと生まれて初めてだ。我慢できず、九月二一日の十五夜の日、我孫子市内の病院に駆け込んだ。診察した医師は私の張り出した腹を手のひらで撫でるやすぐレントゲン撮影を受けるよう指示し、その画像を見て「S状結腸捻転症」と診断した。いわゆる腸捻転である。腸がねじれて中の動きが止まってしまう。腹が張ったのも、腸が膨らみきっているかららしい。たしかに見せてもらったレントゲン写真での自分の腸はものすごく肥大している。「かなり危険な状態です。すぐ入院してください」。 私は、子どもみたいなこと言うようだが、病院というのが何だか怖くて、体調がよほど悪くても我慢して家族に言わないことがある。言えば病院に連れて行かれるから。これまではそれでどうにかやり過ごしてこられたけれど、今度ばかりは危なかったようだ。あのままなお痛みを我慢していたら体内で腸が破裂し、そうなれば命にかかわる場合もあるらしい。入院したのが十五夜の日だし、前夜に見た月もきれいだったから、私は心の中で、ついこうつぶやいた。
月を見て腸のねじれる死に損ね
もし手遅れで絶命なんてことになったら、結びは「死に損ね」ではなく子規の辞世一句目に倣って「仏かな」にすればいいかなんてちらりと思った。そんな辞世の句は遺さずにすんでまずはよかった。そうして私の入院生活が始まり、一〇月九日の退院まで一九日続いた。 病院はそんなに大きなところではない。一階が外来診療、二階と三階が病室である。手術室は三階にある。病床数は四五床ほどで、私のいた間は入院患者数は二〇人から三〇人くらい。身体を動かしたほうがいいと医師からも言われて二階と三階の廊下をよく歩いたから、病室の名札の数が自然と頭に入るのである。個室もあるが私は四人部屋に入った。コロナのワクチン接種会場は一階にある。消化器系統に特化した病院なのでコロナ感染患者は受け入れていない。 看護師さんたちは昼と夜の交代制で、泊まり勤務の人は夕方五時過ぎには「今夜の担当です!」と病室に顔を出し、翌朝は九時近くまでいる。私が旧郵政省に就職して初め東京中央郵便局で働いていたとき(一九七五年~一九九〇年)、泊まり勤務はやはり夕方五時過ぎから翌朝九時近くまで、ほぼ一六時間の勤務を略して一六勤と呼んだ。二日分の労働とカウントされる。それと同じくらいの拘束時間だ。「仮眠時間はありますよ」と言っていたが、その時間にナースコールで起こされることもあるだろう。私の病気の原因を連れ合いが医師に訊くと「体質です」という返事だった。その体質とは生まれついてのということではなく、四〇年間の不規則勤務の積み重ねによって培われてきたのだと思う。 世の中に必要などころかむしろ有害な仕事がある。かんぽ不正が広く知られた保険の悪質勧誘などがそうだろう。ブルシット・ジョブ(くそどうでもいい仕事)と言われる。その割に高報酬なのだが。その一方、世の中にとって欠かせない、必要な仕事というのもある。その割に賃金が低い。ケン・ローチの名作『家族を想うとき』における、あの一家の主婦アビーが従事する訪問介護の仕事なんてそうだ。エッセンシャル・ワークとかキー・ワークと言われる。看護師さんたちの仕事もそうである。この人たちが、不規則で過酷な勤務によって自らの健康を損なうようなことがないことを私はいま痛切に願う。 (つづく) 『家族を想うとき』のアクチュアリティ ~『伝送便』掲載文 : 酔流亭日乗 (exblog.jp) ![]()
by suiryutei
| 2022-01-02 09:25
| 文学・書評
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