新人事制度 大阪での報告①~③
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『捻腸亭日乗』と題した文章の雑誌【労働者文学】からの転載3回目です。これで完結。 なお文中『伝送便』誌に掲載済みの二つの記事を挿入しています。そのうちの一つは沖縄について言及したものですが、今日(4日)午後6時半から防衛省前で辺野古基地建設反対の抗議行動が行われます。これに参加します。 辺野古への海上基地建設・ボーリング調査を許さない実行委員会 (apc.org) 入院前に書いた文章ふたつ
ところで私は現在『伝送便』という郵政労働者の交流誌の編集に関わっている。毎月一日が発行日付の月刊だから、前の月の二〇日頃くらいまでに原稿を集め、下旬に校正をやって月末に発送である。九月はちょうどその時期に入院していたから作業に参加できなかった。原稿のほうは二本書いて入院前に出してあり、無事誌面化された。その二編を最後に置く。
沖縄米軍基地汚染水放出をゆるすな!
沖縄米軍基地の周辺でとんでもないことが起きている。 八月下旬、海兵隊は有機フッ素化合物PFOSを含む約六万四千リットルもの汚染水を普天間飛行場から下水道に流したのである。泡消火剤を訓練で使った際生じたという。 PFOSとは、泡消火剤などに使われてきたが、発がんの可能性はじめ人体に深刻な害を及ぼすことがわかり、現在は製造も使用も法律で禁止されている物質だ。こうした有害物質は焼却などで分解処理するよう定める環境省のルールがあり、米軍もこれまで専門業者に委託して処分してきたとされる。ところが今回、焼却処分は費用がかさむからと放出を打診、日米両政府で協議しているさなかに、一方的に放出を始めた。通告があったのは、放出のわずか三〇分前だ。 信じられない行動である。いつも米国の顔色ばかり覗っている日本政府が、さすがにこれには遺憾の意を表明した。もっとも、その遺憾がどれだけ本気だったか疑わしいのは、九月を通して行なわれていた自民党総裁選でこの問題に言及した候補がただの一人もいなかったことでもわかる。一方、沖縄県議会は九月一〇日、米軍輸送機オスプレイからの部品落下と併せて米政府・軍あての抗議決議を全会一致で可決した。 米軍は低濃度に処理した上で放出したと言う。しかし、地元である宜野湾市が下水を採取して調べたところ、国が河川の水質管理で定める目安より一三倍超の数値を示した。 毒入りの水道水を・・ しかも、先述した「米軍もこれまで専門業者に委託して処分してきた」というのも疑わしい。[週刊金曜日]オンライン二〇一九年六月一〇日付に「沖縄タイムス」阿部岳記者執筆『沖縄の人びとは毒入りの水道水を飲まされている』という記事が載った。それによれば、すでに二〇一六年の時点で、嘉手納基地周辺にある水源池では、米環境保護庁が飲料水として飲み続けても影響がないとする生涯健康勧告値の二〇倍近い汚染が確認されていたという。 また今年二月、航空自衛隊那覇基地で泡消火剤の飛散事故が起きている。それでも自衛隊が相手ならば政府が本気でさえあれば調査の手が届く。米軍基地ではどれだけの有害物質を保有し、どう管理しているのか実態はわからない。日米地位協定により、基地の管理権が米軍にあるからだ。 TV報道はこれをほとんど取り上げない。新聞ではさすがに朝日が九月一二日、毎日は一六日に社説で取り上げた(九月一八日現在)。この稿も事実関係はそれらの記事に拠って書いている。しかし紙面全体では滅多に記事化されない。日本国の一部でこんな酷いことが起きているのに、多くの人はそれを知らされない。沖縄はつねにそういう扱いを受けてきたのだが。 二〇一九年に宜野湾市民の血中濃度を調べたところ、PFOSの代替物質PFH×Sが全国平均の五三倍の濃度で検出されていた。有機フッ素化合物が住民の身体に蓄積されていることが証明されてしまったのだ。 なお米軍発表によれば普天間飛行場に残る汚染水の総量は三六万リットル。これは日本側が引き取って処分することに決まった(九月一七日)。本来アメリカが負担すべき費用九二〇〇万円は日本(われわれの税金)にまわされる。これもひどい話だ。 (『伝送便』誌2021年10月号15ページ)
色川大吉さんを偲ぶ
歴史家の色川大吉さんが九月七日の早朝、老衰で息をひきとった。九六歳であった。 その講演を私が初めて聴いたのは一九七五年初秋のことだから、もう四六年前になる。なにかの市民講座で、演目はもう忘れてしまったけれど、三人いた講師の中で色川さんの名前だけ記憶に残っているのは話が一番おもしろかったからだ。 その年の一〇月から働き出した東京中央郵便局で、私は数年後、反マル生越年闘争(七八~七九年)が過ぎたあたりから全逓青年部の役員を務めるようになった。労働と組合活動とそれから飲酒の日々に歴史の本を開くどころではない。ところが時が流れ、労働運動の状況が変わってくる。労資協調路線への傾斜である。越年闘争で首を切られた仲間たちは、本誌における池田実さんの連載が述べてきたように、全逓労組からも切り捨てられた。その流れに抗しなければ。では、どうすればよいか。自分の立ち位置を確認することを迫られた。学ばなければならない。そのとき思い出したのが、たった一度だけ話を聴いたことがある色川大吉という歴史家の存在である。著作をむさぼり読んだ。 『近代国家の出発』における、明治一〇年代の民権運動家たちの姿がことに印象に残った。労働運動もあのように闘いたい。同書中に紹介されている多摩の農民、細野喜代四郎の詩稿には今も魅了される。『近代国家の出発』は中央公論社[日本の歴史]全二六卷の二一巻目として一九六六年刊行、そのご文庫にもなって版を重ねる。 さて色川さんは天皇制に対する厳しい批判者であった。天皇制下の民衆の精神構造に分け入ろうとしただけでなく、左翼運動の運動圏内ならともかく、アカデミズムやマスメディアの場で昭和天皇の戦争責任を彼ほど追及した人は他には少ない。ただし、美智子さんが五日市憲法草案に関心を示したことが伝えられたからでもあろうか、前の天皇夫妻に人間としての好感は抱いていた節がある。 その五日市憲法草案を、西多摩の草深い山里で旧家の土蔵から発掘したのが色川さんと東京経済大学における彼のゼミナールだ。一九六八年の夏の終わりだった。この発見の重要なことは、現在の憲法にもつながると言われる草案の内容もさることながら、起草者たちが積み重ねた学習や討論の址までもが併せて出てきた資料によって明かされていることである。当時の若者たちが民主主義を吸収していこうとする様子が覗われる。 色川さんがときに反発しながらも歴史学の先達と仰いだ服部之総(1901-1956)は、一八八〇年代の自由民権運動期まで含めて明治維新を、絶対主義の形成とブルジョア民主主義革命の進行という、ほんらい相反しぶつかり合うものの二重の過程と捉えた。一八八九年発布の大日本帝国憲法がそうであるように、勝利したのは絶対主義だが、五日市憲法草案は後者(敗れたとはいえ民主主義革命)のありようを生き生きと今日に伝えているのである。 色川史学に親しんできた人は本誌読者にも多いと思う。ご冥福を祈る。 (『伝送便』誌2021年10月号22ページ)
by suiryutei
| 2022-01-04 08:25
| 身辺雑記・自然
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