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朝刊を手にとることから一日が始まる。 我が家の購読紙は朝日である。まず一面左下のコラムに目が行く。これは昔、詩人の故・大岡信が〔折々のうた〕を連載していた頃からの習慣だが、今その場所には〔折々のことば〕というコラムが置かれている。哲学者の鷲田清一氏が執筆している。 一日の始まりとしては大岡信さんのときの〔うた〕のほうが酔流亭としてはしっくりきて、たまに若山牧水の短歌なんかが採り上げられた日なんて、こちらも朝からであっても一杯やりたいような気分になったものだ。実際に朝酒をやってしまっては色々まずいことになるが・・・。 でも、現在の〔ことば〕も、それの解説から執筆者(鷲田氏)の社会への批評的眼差しが伺われて、悪くない。昨日・今日と二日続けて石川淳の言葉が引かれている。 昨日はこれでした。 今朝はこちら。 今日のほうの引用は評論「敗荷落日」からとったとある。この<敗荷>というのは、ふつう<やれはす>と読み、風によって吹き破られた蓮の葉のことだ。同時に、この石川の文章においては<敗荷>の荷は永井荷風を指している。つまり、永井荷風がヨレヨレになった蓮の葉っぱみたいにダメになってしまったことを激しく糾弾したのが『敗荷落日』という評論なのである。 この文章は荷風の訃報を聞いた直後に書かれた。石川淳は、自分の文学に大きな影響を与えた大先達としての永井荷風を惜しみ、追悼しつつ、併せて晩年の荷風の後退を容赦なく剔抉してもいるのだ。そして相手にそれだけ厳しい言葉を吐いた人だけに、石川淳の書く文章というのは凄いものである。 もう一昨年のことになる。酔流亭は或る媒体に投書した文章の中で石川淳の『歌ふ明日のために』に触れたことがある。 いささかの議論になった。議論になること自体は書き手としてうれしいことだ。しかし、あの石川の文章のことを「この小説は・・」とくりかえす人がいたのには閉口した。石川淳にあえて肩書をつければ小説家ということになるだろうから、書くものを何でも小説と思い込んでしまったのかもしれないが、『歌ふ明日のために』は小説ではない。創作的要素は一分子も含まれていない。 〔折々のことば〕の鷲田清一氏は、文筆家として当然だが、昨日・今日の石川淳からの引用の出所を正しく<評論>と記してある。 ※10年ちょっと前にこんな過去ログを書いていた(13日の朝、追記)。
by suiryutei
| 2022-01-12 09:24
| 文学・書評
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