新人事制度 大阪での報告①~③
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昨日の更新記事に触れたように、中野重治『むらぎも』をテキストにした読書会に参加している。HOWS(本郷文化フォーラムワーカーズスクール)の連続講座である。 ![]() 全4回のうち、去年11月27日開催の一回目について「印象記」を講座発行のニュースに寄稿したので、全文を同ニュースから転載します。 ![]() 山本美恵子さんが行なった報告はテキストを丹念に読み込んだもの。それを承けた質疑も発言が活発で途切れない。もっと時間があったらいいと思ったが、コロナ禍がまだ収まらぬ状況下では会合が長時間に及ぶことを避けなければならないのはやむを得ないのだろう。 以下、当日の討議で私が発言したことを前半で述べ、言いそびれたことを後半に述べる。 ![]() 一〇章から成る長編のうちの三章までのこのパートで、東京帝大新人会の新入生歓迎会の場面が何度かくり返し出てくる。その回想は後半、第七章にもあって、著者の拘りが覗われる。 会員の誰かが「今やわれわれは無産者階級の感情を感情する・・」という演説をぶったのに主人公の片口安吉は「けったくその悪い」思いをするのである。 情景が目に見えるようだ。その言葉の軽々しさに片口は不快感を持ったのだろう。しかし、そのあと立った朝鮮人の新入学生が 「朝鮮プロレタリアートの解放なしには日本プロレタリアートの完全な解放はない。日本プロレタリアートの自己解放なしには朝鮮プロレタリアートの解放はない・・・」 という「単純な演説」をする。それによって彼は「けったくその悪さから心持よく解放されていく思いがした」のである。 頭をよぎるのは『雨の降る品川駅』という著者の有名な詩だ。1928年に行なわれた昭和天皇即位式(「御大典」)のとき治安上の理由で朝鮮に「送還」される朝鮮人同志を品川駅で見送るという詩である。『むらぎも』の時代は1924~27年だから時期もつながっている。その最後の連は、こうである。
行ってあのかたい 厚い なめらかな氷をたたきわれ ながく堰(せ)かれていた水をしてほとばらしめよ 日本プロレタリアートのうしろ盾まえ盾 さようなら 報復の歓喜に泣きわらう日まで
朝鮮プロレタリアートを<日本プロレアリアートのうしろ盾まえ盾>と呼んだ一行は、のちに色々な議論になったらしい。「朝鮮プロレタリアートを日本のそれの弾除けにするのか」といった批判もあるそうだ。 しかし、あの一行は、新人会の新入生歓迎会のとき朝鮮人新入生が述べた前出の言葉に対して片口安吉=中野重治が抱いた素直な感動に裏打ちされたものであったように私には思われる。インターナショナルな感情の自然な発露ではなかろうか。
ところで私は、今回『むらぎも』を、以前読んだときと違う感慨をもって再読している。去年11月に『彼は早稲田で死んだ』(文芸春秋社)という本が出版されたからである。1972年11月に早稲田大学文学部の構内で二年生の川口大三郎さんがリンチを受け殺害された。当時同大同学部自治会を掌握していた革マル派の学生に中核派と疑われたのだ。川口さんは中核派ではなかったし、そもそも人を殺していいわけがあろうか。事件が起きた数日後から、数百数千、ときには万を超す学生が虐殺に抗議する声を上げ始めた。本の著者、樋田毅さんはその中心にいて、革マル派執行部をリコールして成立した自治会新執行部の委員長を務める。書名『彼は・・』も著者らが当時つくったパンフレットのタイトルからとった。 私は1973年に早稲田の法学部に進学したので、遅まきながらいくらかは渦中に巻き込まれた。著者が闘いの中で出会ったのはフランス文学者渡辺一夫の<寛容は自らを守るために不寛容に対して不寛容になるべきか>という問いかけである。渡辺の答は決まっている。寛容は自らを守るためであっても不寛容になってはならないのである。 非暴力の闘いをどうつらぬくかということだ。それはたやすいことではない。著者は鉄パイプの襲撃を受けて一か月も入院する重傷を負った。私が入学してひと月後のことだ。革マル派の理不尽な暴力によって自治会新執行部もやがて潰されてしまう。 もとより新左翼党派のゲバルトなど、中野重治が『むらぎも』の時代を経てから対峙することになる天皇制国家の凶暴と比べれば児戯のごときものだ。あのころ私もよく耳にした学生党派活動家たちの「階級性」連呼の虚ろさは、『むらぎも』に出てくる新人会新入生歓迎会における「無産者階級の感情を感情する・・」云々と変わらない。しかし、そんな児戯であっても、ときに人の命を奪うに充分な残虐性を発揮するのである。 『むらぎも』で50代の中野重治は自分の学生だった頃を、ただ回想するのでなく革命運動との関わりにおいて捉えかえそうとしている。いま60代の半ばを過ぎた私は、自分の活動の出発点にあったことを改めて見つめ直そうと思う。それは<寛容は・・不寛容に対して不寛容になるべきか>という問いかけにどう答えるかということだ。この場合、寛容は<報復の歓喜>を排除はしない。それ(報復)がテロルの形をとるのは拒むけれども。 ![]()
※関連する過去ログとして
日本におけるマルクス受容は ~【いてんぜ通信】寄稿 : 酔流亭日乗 (exblog.jp 『彼は早稲田で死んだ』(樋田毅)「伝送便」掲載書評 : 酔流亭日乗 (exblog.jp)
by suiryutei
| 2022-01-14 08:19
| 文学・書評
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