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郵便受けを開けると朝刊の下に大きな封筒が届いていた。 昨日のうちに来ていたらしい。昨日は日曜。朝、朝刊を取った後は、郵便も夕刊も来ないから郵便受けは朝のぞいただけだったので気づかなかった。封筒はクロネコDM便だ。ユニバーサルサービスを担う郵便は今や土曜も日曜も休配なのにDM便は土曜も日曜も祝日もなく配達されるというのも、何か妙なものだ。 それはさておき、大きな封筒は〔完全護憲の会〕からであった。中を開けると完全護憲の会のニュースとともに、こんな新刊書が入っていた。 著者の石川逸子さんは詩人である。三鷹事件についてはこれまでにも何冊もの本が出ているが、この本がさすが詩人の手になると思うのは、無実なのに死刑囚とされた竹内景助さん自作の詩がたくさん紹介されていることだ。詩だけでなく画もいくつか。それらから竹内さんの人柄がうかがい知れるようだ。 手にとったばかりなので詳しい紹介はまだできない。これからゆっくり読んでいきたい。 三鷹事件のことは、酔流亭も以前『歴史家・服部之総』という本(松尾章一著、日本経済評論社)の感想を書くとき少し調べてみたことがある。服部は獄中の竹内さんと文通して彼を励ましていたからだ。その感想文から三鷹事件に触れた箇所だけ抜き書きする。 三鷹事件と服部 もちろんこの「人物編」にも貴重な記述は多い。中でも重要なのは三鷹事件唯一の死刑囚となった竹内景助と服部との交流の記録である。三鷹事件は一九四九年七月、国鉄中央線三鷹駅で無人の電車が暴走して駅前の民家に突入、六名が死亡し一〇数名が重軽傷を負ったことに始まる。同じころ続けて起きた下山事件や松川事件とともに米軍占領下の怪事件である。日本共産党員と国鉄労組員を実行犯人に仕立て上げようとした。しかし、裁判を通じても捜査のでたらめさは次々に明らかにされ、結局、起訴された一〇名の被告のうち九名は無罪となる。ところが、複雑なのは、共産党弾圧を企んだ事件であったのに、被告の中で唯一の非党員だった竹内景助のみが死刑を宣告されたことである。もちろん竹内だって無実なのは間違いない。彼は獄中で無実を叫びつづけ、再審申し立てをしたが、決定が出るのを待たず、一九六七年一月、脳腫瘍のため東京拘置所で死去した。 服部はその竹内と文通をくり返し、ときには金銭のカンパも行ない、励まし続けた。竹内から服部に宛てた書簡が一四通、[第二部 戦後史のなかの服部之総]という項に収録されている。服部からの手紙のほうは未収録だが、それが実のこもったものであったろうことが竹内の返信から覗われるのである。竹内の文面について「まったくの冤罪で死刑に処せられた人間の無念さと心情の激しい動揺・・・これほど赤裸々に吐露されている書簡を見たことがなかった」と松尾氏が書いているのに私も同感する。二〇一一年一一月、竹内景助のご長男が「死後再審」の申し立てを行なった。冤罪をはらす闘いは現在も続く。これら書簡はその闘いのためにも大事な資料となるにちがいない。 上の引用に書いたように、竹内さんは冤罪を晴らせないまま1967年に脳腫瘍で獄中死する。1968年、再審請求が出されたが東京高裁第4刑事部は請求を棄却。2011年、竹内さんの長男・健一郎氏を請求人として第2次再審請求が出され、現在、第5刑事部で係属中である。一日も早い再審開始決定が出されることが待たれる。
by suiryutei
| 2022-03-28 08:43
| 文学・書評
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