新人事制度 大阪での報告①~③
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このあいだの土曜日、新宿アルタ前で行なわれた辺野古基地反対のアピール行動に参加したあと、中野重治『「文学者に就て」について』と宮本百合子『冬を越す蕾』という二つの評論をテキストにした講座に顔を出したことは一昨日の更新記事に書いた。 治安維持法下で1932年に検挙され豊多摩刑務所に収容されていた中野重治(1902-1979)は1934年5月、東京控訴院で日本共産党員であったことを認め、共産主義運動から身を退くことを約束して懲役2年執行猶予5年の判決を受けて出所した。 この時期、左翼インテリゲンチャの転向が相次ぐ。「運動が合法的台頭をした時代に階級的移行をしたインテリゲンチャが、文学上の名声という特殊性もあってまだ十分自分らを階級人としてこね直しきらないうちに」(『冬を越す蕾』中の表現)天皇制国家権力の暴力にねじり伏せられたのだ。いま記述の一部を引用した百合子(1899-1951)の『冬を越す蕾』は、そうした状況に対する歯噛みするような思いが綴られた評論である。雑誌『文芸』1934年12月号に発表された。 中野の『「文学者に就て」について』は雑誌『行動』の35年2月号掲載だが34年の12月に執筆されたと言われる。『冬を越す蕾』を読んですぐ書かれたのである。やはり転向したプロレタリア作家である貴司山治の『文学者に就て』という文章を批判したものであって、『冬を越す蕾』に直接の論及はない。しかし転向プロレタリア作家たちへの百合子の弾劾および鞭撻にも応答する内容となっている。転向した自分を凝視しつつ、そこから這い上がろうという決意が述べられているのだ。 それからの中野重治および宮本百合子の軌跡については、二人の作品を読みながら考えていきたい。ただ、酔流亭は去年『日本におけるマルクス受容は』という文章で、まだ充分読み込んでいないながら当時の中野の作品について少し言及したことがある。このとき書いたことは外れているとは思わない。 「・・・たとえば転向後の中野重治の作品を読めば、自らの転向を凝視し続ける一方で、「日本のアジア諸国への帝国主義的侵略」を支持するようなことは書いていない。これは稀有なケースかもしれないけれど。」 ところで、つい最近友人から借りて読んだ猪俣津南雄(1889-1942)の『窮乏の農村』も1934年に書かれているのである。題名のとおり、窮乏する農村を踏査したルポルタージュだ。 米を作る人が、小作料を払ってしまえばつぎの収穫の秋が来る前に自分が食う米が尽きてしまって飢えているのだから酷い話だ。そうした当時の日本社会のありようを視野に入れずにインテリゲンチャの左傾化や転向を論じては浅はかなことになろう。上に貼り付けた過去記事で酔流亭が触れた内田樹の論などその傾きがないか。 そうして30年代の農村を襲ったのと同じような窮乏が今日の労働社会ことに非正規雇用労働者を襲っている。雑誌『POSSE』最新号掲載の橋本健二氏の論考『新しい資本主義における〔階級政治〕』などからもそれが窺える。
by suiryutei
| 2022-06-07 07:59
| ニュース・評論
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Comments(3)
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今回の報告は、転向を強いられる状況については、治安維持法の説明と年表の配布がありましたが、それ自体は貴重な資料ですが、当時の歴史的な社会のありようを踏まえていない点がありました。時間の関係で致し方ないことで、この報告以上のことを求めるのは酷でした。
私は、転向を強いられる場合とは、きわめて具体的で、生々しい、人間関係を基本的なこと(その典型例は男女関係と家族関係)で破壊する暴力的なことだと思っています。被弾圧者にたいして暴力的な取り調べを行いつつ、監獄に入れて長期間拘束し、孤独に追い込み、一挙手一投足を監視し、妻(夫)か家族だけに面会させて転向を促すのです。 同時におっしゃるような、当時の社会的なありようとは、1934年、中野が転向した年ですが、東北大凶作の年であり、同時に、34年~35年が、北方教育運動の最盛期であったことを思い起こします。 中野の転向後の評論を読むと、徳永直などに促されて、東北地方の生活綴方作品を読んで繰り返してそれを引用し論じていますね。生活綴方運動が最盛期であったことが背景にあることは間違いないのです。中野は、子供たちの生活綴方を読んで、子供たちがその生活の具体的なありようを逃げずに言葉に表現する苦闘をみて、自己の文学の内容を見直したはずです。
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墨田のカッパさん、中身の濃いコメントです。ありがとうございます。
国分一太郎らの生活綴り方運動もそのころ最盛期でしたか。 そういえば、いまウクライナの戦争でホロモドール(ウクライナのみならずソ連全域での大飢饉)のことが思い出されていますが、これが起きたのが1932-33年ごろと言いますから、だいたい同じ時期ですね。アメリカでも大恐慌のさなかです。こんにちの状況と併せて考えたいです。
ホロモドールでなくホロドモールですね。
付け焼刃がバレます。失礼しました。
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