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中野重治の1930年代の評論・小説を読む講座(HOWS主催)に参加していることは前に書いた。 6月4日に行われた、その第一回講座における討論の記録が一昨日発行の<講座ニュース>1号に掲載されている。 酔流亭は討論の中で2度発言したので、その部分を討論記録から写しておきます。前後の他の方の発言も紹介しないとわかりづらいところもあるかと思いますが、それをやると膨大になってしまう。ご容赦を。 【一回目の発言】 先ほどTさんが引用したところ。僕も『冬を越す蕾』(宮本百合子の評論)を読んだときにこの箇所と、ここに続く箇所なんですけれども、 「そのいきさつが知りたいのである。(中略)運動が合法的台頭をした時代に階級的移行をしたインテリゲンチャが、文学上の名声という特殊性もあってまだ充分自分らを階級人としてこね直しきらないうちに、情勢のほうはさきまわりして客観的にはそれらの人びとがすでに一つ前の時代のタイプとなり、その破綻が転向という形態で今日現わされてきている。」 ここがいちばん心に残った。30年代の日本の左翼インテリゲンチャの転向はそういうものだったのかなあと思ったんです。 あの時代の転向を軽く考える言説が今ありますよね。たとえば最近、去年だったか、内田樹という人が中国で『若者よマルクスを読もう』という本が出るときに、日本のインテリゲンチャは流行によってマルクス主義を身につけて、それが自分の生活とは合わないものだったからスルッと捨ててしまったというようなニュアンスのことを書いているんです。そういう面がなかったとは思わないけれども、それだけではないはずですよね。特に中野は、たしかに転向はしたけれども『「文学者に就て」について』もそうだけれど、転向をした後の彼の文章を読んでも、おかしなことは書いていないですよね。逆に、確かに転向して運動からは離れたけれども、これ以上は書けないというギリギリのところを評論では書いていると思うんです。1934年、35年の評論を読むと、この時代によくこんなこと言ったなと思うんです。30年代は農村は飢饉があったし、大恐慌の時代ですから、日本のインテリゲンチャも世の中を変えないといけないと考えたんだけれども、自分を階級的に鍛えるというところまでいかないうちに、国家権力の暴力によって潰されてしまったということ。国家権力の暴力性を軽視できないし、いろんな問題があると思うんですけど、そういうことを感じますね。 去年か一昨年に野間宏の『真空地帯』を取り上げたときに、それより前の作品の『暗い絵』に言及したことがありました。その中で京都大学の3人の左翼学生が登場するが、3人とも獄死している。事実でも、かれらのモデルとなった実在の学生のうち1人は生き残るが2人は獄死した。6割6分以上です。あの時代、治安維持法の下で獄死した確率は高かったと思う。そのことを視野から外した議論はおかしいとそのとき感じました。今日もそういうことを感じました。 【2回目の発言】 関連するかどうかわからないですけれど。転向して、転向から這い上がることによって、非転向で頑張っていた人には見えなかったものが見えてきたということもありますよね。中野の文章だと「文学作品として打ち出した自己批判を通して日本の革命運動の伝統の革命的批判に加われたならば」とあるけれども、「革命運動の伝統の革命的批判」ということがどういうことなのかということになってくると思うんですけども。非転向で頑張った人の場合は「革命運動の伝統」に寄りかかってあぐらをかいてしまう危険性もあるよね。今回宮本百合子の本も扱われているけれども、お連れ合いの宮本顕治さんの場合はそういう問題があったと思うんです。非転向なんか偉くないんだ、転向した人間のほうが立派なんだと言っちゃうとこれもまたおかしいんだけれども、ただ、いったん転向したけれどそこから必死に這い上がろうとするその過程において、自分たちが転向してしまうにあたって、弱さとかそういうことだけじゃなくて、日本の運動の無理とか、そういうものが非転向で頑張ってきた人たちにはもしかしたら見えなかったかもしれないけれども、それが見えてくる可能性だってあるわけですよね。その辺はどう考えるんですかね。 下の写真は一昨日開催された講座二回目の看板。次回は9月3日(土曜)、転向文学の代表作と言われる『村の家』を読みます。
by suiryutei
| 2022-07-22 07:57
| 文学・書評
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Comments(2)
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by
隅田のカッパ
at 2022-07-24 19:16
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酔流亭さんの二つ目の発言は、「…中野の…『自己批判を通して日本の革命運動の伝統の革命的批判』…」、とは何かという内容が話し合われているところでしたね。
次のようにおっしゃいっています。 「…転向して、転向から這い上がることによって、非転向で頑張っていた人には見えなかったものが見えてきた…」、「転向してしまうにあたって、弱さとかそういうことだけじゃなくて、日本の運動の無理とか、…それが見えてくる可能性だってあるわけですよね」 ここのところが、強く記憶に残っています。 この発言は、司会者の発言「事実として転向はしたけれども、這い上がるために必要なものまではぎりぎり失ってはいない。…そのことが、中野の転向後の仕事を、運動論として転向を考えていく上で大事…」ということを受けて、酔流亭さんが発言されたのでした。 私は、<中野がなぜ権力の弾圧に屈服せざるを得なかったのか>をずっと考えています。弾圧があれば当然に抵抗があり、転向せざるを得なかった要因は何かということです。このことを考えるときに、酔流亭さんがこの発言の前に取り上げた、内田樹の言説(『若者よマルクスを読もう2』の中国語版序文、内田樹自身のブログで読める。)を見逃すべきではありません。 内田樹は、<転向が決してそれほど困難ではなかった>、<転向が国家権力の拷問に耐えかねてその苦痛から政治的信念を棄てるということではなかった>と述べています。これを否定しなければならないと思っています。 というのは、そもそも転向とは、国家権力による個人を抑圧するメカニズムであり、その弾圧と転向の間に、弾圧に抵抗する活動家の闘いが眼前として存在していた歴史があったからです。その苦闘を私は見たいと思っています。内田樹の言説からはこれを見失ってしまうことになるのです。 中野重治の転向を考える場合、中野が転向せざるを得なかった要因を、単なる個人の倫理や節操(これ自体は思想闘争の内容として巨大な意義があります)に切り縮めずに、団結の内容の見直しとして引きついで行きたいと思うのです。
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by
suiryutei at 2022-07-24 21:10
墨田のカッパさん、コメントありがとうございます。
コメントの内容に同感です。内田樹は「拷問に耐えかねてその苦痛から・・」というようなことを言うのがそもそも問題の矮小化です。酷い拷問を仮にされなかったとしても、あの時代、検挙された人たちはバタバタ獄死しているのです。栄養を充分に摂れない不健康な身体で非合法生活を続けた(非合法ではなかったにしてもカツカツの生活をしていた)挙句に検挙され不衛生な場所に閉じ込められるのだから、そうなります。拷問されなくても、これは国家権力のものすごい暴力です。それを軽視しています。 そのうえで、運動にあった色々な無理を考えていかないといけないと思います。
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