新人事制度 大阪での報告①~③
記事ランキング
最新の記事
タグ
労働(124)
最新のコメント
カテゴリ
最新のトラックバック
以前の記事
2025年 06月 2025年 05月 2025年 04月 2025年 03月 2025年 02月 2025年 01月 2024年 12月 2024年 11月 2024年 10月 2024年 09月 more... ブログジャンル
画像一覧
検索
|
1990年から98年まで沖縄県知事を二期つとめた大田昌秀さん(1925-2017)が酒豪であったことは氏の生前から耳にしていたが、沖縄の酒である泡盛には口をつけなかったということを、つい数日前の新聞コラムで初めて知った。 このコラム(朝日新聞掲載)を執筆したのは山本章子・琉球大学准教授。 同准教授によると、太田さんが愛飲したのはウイスキーで、好きな銘柄はシーバスリーガルだったそうだ。スコットランドの産である。そして彼が泡盛を飲まなかったのは、酒飲みにはなるほどと思う理由がある。太田さんが酒の味を覚える年齢の頃の泡盛はひどく不味かったらしいのだ。 原因は戦争だ。日本で唯一地上戦を経験した沖縄では戦争によって酒造場がすべて壊滅してしまった。泡盛造りに欠かせない黒こうじ菌も消失した。占領米軍が払い下げたでんぷんやチョコレート(!)、雑穀を使い、酵母はパン用のイースト菌で代用したという。そんな戦後一時期の泡盛は非常に質が悪かった。そうだろうね。 いまウィキペディアで太田さんの年譜を見ると、1948年に沖縄外国語学校を卒業してから早稲田で学び(教育学部)、それからアメリカに留学している。ウイスキーをソーダで割るハイボールの味を覚えたのは早稲田の学生だったときらしい。1950年代前半、太田さんの年齢では20代後半だ。あのころ東京では清酒もあまりいいのが飲めなかったろうから、ウイスキーに走ったのもやむをえないね。「本土」の清酒造りだって、地上戦でひどい打撃を受けた沖縄の泡盛の惨状とは比べものにならないにしろ、米が無かった戦時中の手抜きの酒造りが戦後ずいぶん後まで尾を引いていたものだ。 いまや清酒も泡盛もじつに美味しくなった。それに国産ウイスキーだって素晴らしいのは、先日友人のKさんにいただいた宮城蒸留所のニッカウィスキーを賞味してよく承知した。 ところで、面白いのは、太田さんが沖縄県知事だったとき、その舶来ウイスキー好きを県議会で追及したのが翁長雄志さん(1950-2018)だったというエピソードだ。翁長さんは2014年から急逝する2018年までやはり沖縄県知事を務め、オール沖縄を率いて、軍事基地のない沖縄を目指す太田さんの立場を引き継ぐことになる人だが、当時は自民党県議として太田革新県政と対峙していた。 「・・地場産業を育てようという沖縄県の最高責任者が、いつも県民が見ている前で洋酒ばかり飲んでいてどうするんですか」 「いつも県民が見ている前で」と翁長さんに言われたのだから、太田さんは本当によく飲んだのだろう。この追及をどうかわしたのだろうか。ちょっと笑いたくなる。 なお、今度の沖縄県知事選挙は9月だ。太田さんや翁長さんの遺志を継ぐ玉城デニー現知事が再選されることを酔流亭は願っている。
by suiryutei
| 2022-08-07 06:44
| 酒・蕎麦・食関係
|
Comments(0)
|
ファン申請 |
||