新人事制度 大阪での報告①~③
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昨日紹介した色川大吉さん追悼シンポジウムの記録の中で、やはり興味深いのは成田龍一さんの基調講演である。 45分間弱だから長い講演ではないが、よく練られ、中身の濃いものだ。講演の半ばが過ぎた頃、(2)不発の論争と題されて、西川長夫(仏文学者、1934-2013)による色川批判とそれへの色川さんの応答への言及があった。 歴史叙述の方法から民衆というもののとらえ方まで、西川は現代思想を駆使して色川を批判したのだが、色川は当初それに反発したものの、間をおいてその批判を受け入れる。もっと論争があってよかったのではないかと成田さんは残念がる。「歴史学にとって、不幸な、『現代思想』との出会いそこね」(成田講演レジメ)。 酔流亭も同感だ。 酔流亭は一昨年の秋、野間宏『真空地帯』をめぐる大西巨人の同作批判について或る学習会で報告をしたことがある。そのとき大西が用いた<ルンペンプロレタリア>という語について、こう述べた。 世間にいたときはどこに勤めても長続きせず、住み込み先を飛び出すたびに小金をくすねていたという木谷を「その反抗の性質は、ルンペンプロレタリア的そのもの」(三三ページ)と書くとき、大西の頭にあったのは『共産党宣言』における有名な定義(後述)であろう。そこでルンペンプロレタリアとは、あるいはそのエネルギーとは何かについて考えてみたい。 『真空地帯』からちょっと離れる。ルンペンプロレタリアという言葉に、マルクスの名著『ルイ・ボナパルトのブリュメール一八日』に対する西川長夫の批判が頭をよぎった。どういうことか。一八五一年、ナポレオン・ボナパルトの甥ルイ・ボナパルトがクーデターを起こして、その後一八七一年まで続く第二帝政を打ち立てる。パリのルンペンプロレタリアがこの反動クーデターに動員されたことをマルクスは『ブリュメール一八日』において激しい言葉で詰った。「あらゆる階級のくず、ごみ。かす・・・」。それを西川は「社会の底辺に生きる脱落者たちに対するマルクスの侮蔑の感情が最も露骨にあらわれた」と批判したのである(『歴史研究の方法と文学』雑誌「歴史学研究」一九七八年六月号)。 ここで酔流亭が一部を引用した西川長夫『歴史研究の方法と文学』は、じつは成田さんの講演に出てくる西川による色川批判論文なのである。マルクスの上記叙述については、民衆史を標榜する色川が無批判なのはどうしたことか、と西川は論じた。 酔流亭が上の引用の後、以下のように続けたのは「色川さん、もっと反論したらよかったじゃないですか」という思いもいくらかこもっている。 この西川によるマルクス批判には同意できない。『ブリュメール・・』より三年前、すでに『共産党宣言』においてマルクスはエンゲルスとともにルンペンプロレタリアについて、こう定義している。 「ルンペンプロレタリアート、すなわち旧社会の最下層にある、腐敗堕落した貧民もまた、場合によってプロレタリア革命運動に誘い込まれるだろう。けれども彼らの生活状態から見ると、彼らはむしろ喜んで反動的陰謀のために買収されるだろう。」 『ブリュメール・・』でのマルクスの激しい言葉は、三年前に言っておいたことがまたも現実となってくり返されたことへの歯噛みする思いから出ている。バルザックの創作『人間喜劇』を挙げて西川は「バルザックがこれらの社会のくずやごみにそそぐ視線はマルクスのそれと何というちがいであろう」と書くが、階級闘争における陣形配置(それがうまく行なわれなかった場合ときに発せられる怒声)と、一人ひとりの人間の内面に分け入って内在的に理解することとは範疇を別にする事柄だ。 どういう局面においてであれ、また誰の口から発せられるのであれ、怒号や罵声を聴くのを私は好まない。だから『ブリュメール・・』の前記箇所を読んであまりいい気持ちはしなかった。大西の前出「淫売」呼ばわりも同様。それでもバルザックとマルクスの西川のような対比の仕方は妥当ではないと思う。 野間は大西に反論して「・・何故木谷がものをぬすむようになるかという追求こそ大切なのである。木谷利一郎に無縁な大西巨人氏は、一片のパンを盗んだ、ジャンバルジャンが十九年間の牢獄生活をし、屈辱と労役とのなかで智力と社会に対する正しい判断力を得るという物語にもまた無縁な人間である。」と述べる(三三ページの引用)。やや感情的になっていたかしれない。西川長夫のマルクス批判と同様に的を外している。 なおルンペンプロレタリアとは何かについては、中野重治が一九三一年に書いた短文『ルンペンのこと』が参考になるかと思う。そこで中野は「ルンペンとはあらゆる階級からの脱落者のことだ」と述べ、「金がないとか職がないとかいうことだけで失業者とルンペンをいっしょにするものは、労働者を侮辱するものだ」と書く。そのとおりだと思う。今日ひどい場合は非正規雇用労働者をルンペンよばわりする言説さえある。とんでもない間違いだ。 ※関連する過去ログとして ※二年前の野間宏『真空地帯』をめぐっての酔流亭の報告の全文は、下の過去ログに。
by suiryutei
| 2022-08-21 05:53
| ニュース・評論
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