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わが本棚に揃っている中野重治全集全28巻は、学生時代からの友人・Oさんに頂いたものである。 埼玉県在住のOさんは、地元の〔9条の会〕での活動を通じて晩年の津田道夫さんと親交があった。2014年10月に津田さんが亡くなって、親しい人たちが遺品を引き取るとき、故人の書架にあった中野重治全集を譲る相手として酔流亭を思い出してくださったのだ。 そのOさんと先月ひさしぶりに会って、ウクライナのことなどあれこれ意見交換する中で、津田道夫さんが亡くなったあと追悼文集が編まれたよ、と聞いた。 「へええ、ちょっと読んでみたいな」 と酔流亭がつぶやいたのをOさんは忘れず、数日後にレターパックでその追悼文集が届いた。 中野重治全集を開くとページのあちこちに書き込みがあり、また傍線が引かれている。たとえば下の写真は全集第5巻所収の長編小説『むらぎも』の或るページである。 なるほど思想家という人種は文学作品をこういうふうに読み込むのかと覗われる。酔流亭なんかは、いわゆる論文ならたまには傍線を引いてみることもないではないけれど(線を引くと、何かいかにも勉強したような気分になるから。実態は怪しいものだが)、小説を傍線を引きながら読むなんてことはまずない。 そういう思想家であったところの津田道夫さんは周囲からどう愛されていたのだろうか。寝苦しかった夏の夜々、寝る前に少しずつページをめくっていった。 「ゲントロ」という言い方をする執筆者がいる。津田さんの処女著作『現代のトロッキズム』(青木新書)のことである。1960年刊。 この本は酔流亭も20代のころ神田の古本屋で見つけて買った。書名と出版元からして、日本共産党からのトロッキズム批判の書のひとつと思いがちだが、どうして、そう単純な作品ではない。トロッキストとよく総称される潮流は批判しつつ、しかしそれはトロッキズムを批判してきた潮流の誤った思想と運動から必然的に生まれてきたことを著者は抉っていくからである。この本を書いてほどなく、津田さんは共産党を離れた(除名された)ようである。 『現代のトロッキズム』の翌年、1961年刊の『国家と革命の理論』(青木書店)、それからさらにその翌1962年刊の『現代コミュニズム史』上・下(三一書房)は下だけ持っている。どちらも50歳を過ぎて古本屋で見つけた。『現コミュ史』上のほうは、つい去年、友人が貸してくれて読むことができた。 これらは酔流亭のコミュニズム理解にとって少なからぬ影響を及ぼしている。他に本棚には『ヘーゲルとマルクス』(季節社、1970年)があるのだが、ヘーゲルを読んでいない酔流亭には歯が立たない。生きているうちに読み終えることがあるかどうか。追悼文集にヘーゲルの意思論について長文の寄稿をされている人もいる。やはり理解できなかった。 酔流亭は生前の津田さんと親交があったわけではない。ただ、謦咳に接したという程度のことは二度ある。 一度は20歳を過ぎたばかりのときだ。明治大学にいた友人たちが津田さんを同大のキャンパス(駿河台ではなく和泉校舎のほう)に講師に招いて講演会をやったのを聴きに行った。 70年代半ばのことである。明治大学は学生運動の盛んな大学であり、学内には様々な「党派」がいて、けっこう手荒なトラブルもくりかえされていた。津田さんを招いてのこの講演会にも、別のグループの学生が会場に乱入してきた。彼らは津田さんに文句があったというのではなく、「オレたち以外のグループには学内で活動させないぞ」ということのようであった。 結局、別の教室に難を避けて、津田さんの講演はそこで無事に行われた。アジアにおいて緊張緩和への道をどう拓いていくのかがテーマであったと記憶する。 話をされながら、津田さんはチラチラ酔流亭の顔を見るのである。講演会の終わるときには 「キミ、暴力はいかんぞ」 そう声をかけられた。 どうも、乱入してきたグループの一人が付いてきて様子を窺っているものと酔流亭のことを思われたらしい。 もちろん津田さんの勘違いである。もっとも、当時の酔流亭は自分が通っていた大学はもう中途退学して働き出していた。青い作業着に一度袖を通してしまうと、親がかりの学生とはいくらかは違ったふうになる。荒れたというか、殺伐なところが挙動にあったのかもしれない。それを感じ取られたのであろう。 二度目はそれから10年くらい経ってから。津田さんが関わられていた月刊誌『人権と教育』の集まりでだった。懇親になって津田さんが乾杯の音頭をとられた。 参加していた女性の方を指して 「〇〇さんのいいところは決して食べ残さないことです」 と言う。 手料理なんだから気持ちよく全部食べ切ろうぜとよびかけられたのだろう。 津田さんが声の大きい人だったこと、よく飲み食べる人だったことは追悼文集執筆者の多くが書いている。 追悼文集を貸してくださったOさんには「夏が終わるまでには読み終えて返します」と言ってある。その約束は守れそうだ。
by suiryutei
| 2022-08-24 05:04
| 文学・書評
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