新人事制度 大阪での報告①~③
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【いてんぜ通信】の秋号(第7号)が届いた。発行は〔いてんぜ編集委員会〕。発行日付は2022年9月1日である。 ![]() 『夏至の酒』と題して、随筆ふうの文章を書かせていただいた。題名の通り、今年の夏至にあたった6月21日に会った人のこと、飲んだ酒のこと、その日あれこれ思い感じたことなどを書いてある。 全文を転写します。 ![]() 今年の夏至は6月21日だった。一年で昼間がもっとも長い日である。今年は梅雨が異例に短く、関東甲信越では6月6日に梅雨入りしたのが、同月27日にはもう明けたと気象庁の宣言が出てしまう。しかも、梅雨明け宣言が出る前もろくに降らなかった。いまインターネットで6月の天気をふり返ってみるに、東京で雨らしい雨が降ったのは15日が最後である。それからは27日の梅雨明けまでカラカラ天気だ。もっと早く梅雨明けが宣言されてもよかったろうに、あんまり早くてはと気象庁も踏ん切りがつかなかったのだろう。梅雨が明けてしまってはもちろん降らない。6月25日から7月3日まで、東京では最高気温が35℃を超える日が9日続く。2015年の8日連続を抜き、観測史上最長を更新したそうだ。ようやく7月も中旬になって、戻り梅雨みたいな日が一週間ほど続いた。 もっとも地域によっては集中豪雨もあって被害が出ているのだから、「雨待望論」を気楽にぶつわけにもいかない。いつ暴れ出すか知らず。まことに異常気象というのは厄介だ。
南米コロンビアに左派政権が
そんなわけで夏至の当日もいくらか曇りがちながら雲が切れると陽射しは朝から強い。早く目が覚めてしまった。朝刊を取ってくる。この日の朝刊では南米のコロンビアで左派政権誕生の運びというのが大きなニュースであった。同国では大統領選挙の決選投票が二日前の19日に行われ、左翼ゲリラ出身のグスタボ・ペトロ氏が50.44%の投票率で当選した。対立候補の親米派は47.31%の投票率である。 コロンビアは南米大陸における右派・親米派の拠点となってきた国だ。お隣がベネズエラで、ここは9年前に死んだウゴ・チャベス前大統領を引き継ぐニコラス・マドゥロ現大統領も反米路線だから、コロンビアは米国を背景に、ベネズエラにいろいろチョッカイを出してきた。 思い出すのは3年半前のエピソードだ。 ベネズエラとコロンビアの国境で、飢えがひろがっているというベネズエラに向けて「支援物資」を積んで入ろうとしたトラックにベネズエラのマドゥロ現政権側が火を点けたと報じられたのが、じつは放火したのはコロンビアにいた反マドゥロ政権グループだったというのである。ニューヨーク・タイムズの検証報道で明らかになった。 トラック炎上が起きたのは2019年2月23日。現場は、コロンビアとベネズエラの国境にあるサンタンデール橋というところだ。人道支援物資を載せたトラック4台が、コロンビア側からベネズエラへの入国を試み、橋の反対側はマドゥロ政権側の治安部隊が封鎖していた。にらみ合いの中で、治安部隊は催涙ガス弾、ゴム弾で搬入を阻止しようとし、トラックとともに入国を試みる反マドゥロ政権のグループは火炎瓶をベネズエラ治安部隊に投げつける。そのさなか、1台のトラックの荷台の幌に火がつき、燃え広がり、現場はパニックになった。 この経過は、コロンビア政府が監視カメラによる動画をコロンビアの報道機関と米政府に提供したことで明らかになった・・・と思われた。ところが、反マドゥロ政権グループから投じられた火炎瓶がトラックに当たり発火させた場面が写る13分間が動画からは削除されていたという。そのためトラック放火はベネズエラ治安部隊側によるという印象が作られ、じじつコロンビア政府と米政府はそう宣伝した。ニューヨーク・タイムズの検証記事が3月10日に出るまでの半月あまり、誤情報が世界を駆け巡る。米国の国家安全保障担当大統領補佐官(当時)ジョン・ボルトンは「(マドゥロ政権が)支援トラックに放火」とツィートして1万1000回以上リツィートされたし、ペンス副大統領(当時)も「カラカスの暴君は、忠実な部下が市民を殺し、食べ物や薬を燃やしたのでダンスしている」とツィートした。カラカスはベネズエラの首都だから、暴君とはマドゥロ大統領を指す。 ベネズエラに限らず、キューバにせよ朝鮮にしろ、米国が敵視する国にまつわる報道にはこの類が多いのではないか。ニューヨーク・タイムズが事実を明らかにしたのは称えられようが、例外的なケースだろうし、その前に偽情報がさんざん拡散されてしまっている。それはさておき、右派政権の下そんなことが行なわれてきたコロンビアで左派政権が誕生するのは朗報だ。8月7日が就任式。
ギレリスが弾くブラームス
日本の夏至の日における我が家のことに話を戻そう。 コロンビア大統領選挙についてここまで述べてきたようなことを私はブログに書き、それから朝食を摂った。朝から祝杯を挙げたい気分ではあった。しかし酒を飲むにはいくらなんでも時間が早すぎる。朝食はトーストにコーヒー、それから山形県に縁のある友人が贈ってくれたサクランボ。この果物は夏至のころが一番の旬である。 家を出るまでにまだ時間がある。FMラジオを点けた。NHKFM〔クラシック・カフェ〕という音楽番組は毎週月曜~木曜の午後2時00分から3時50分までの放送だが、その再放送が毎週火曜~金曜の午前7時25分から9時15分に流れる(初回放送の8日後)。その時間帯であって、じきブラームスのピアノ協奏曲第一番がかかった。ピアノを奏するのはエミール・ギレリス、オーケストラはベルリン・フィルだ。指揮はオイゲン・ヨッフム。 音楽に疎い私が、ギレリスというピアニストの名前は高校のときから知っている。三年生のときである。1972年だ。彼が何度目かの来日をして、その演奏会の模様がTV録画放送されたのを家でたまたま視ているのだ。共演したオーケストラは日本の楽団だろう。録画放送はNHK教育TVで視たはずだから、NHK交響楽団だったかもしれない。演目はやはりブラームスのピアノ協奏曲で、その第二番であった。四つの楽章からなるうち、第二楽章はピアノの独奏でスタートする。そのギレリスの弾きっぷりが鮮烈だった。彼のピアニズムが〝鋼鉄のタッチ“と言われているのはずっと後になって知った。強靭とか明晰ということであろうか。 今年の夏至の日に聴いたのは先に述べたように協奏曲第一番である。鋼鉄というよりリリカル(抒情的)な印象を受けた。これもよかった。いまリリカルなんて日ごろ使いつけない片仮名をおそらく生まれて初めて使ってみたのは、ブレイディみかこさんの新刊『両手にトカレフ』を読んだばかりで、ヒロインである14歳の少女ミアがリリック(抒情詩)を作詞してラップする場面が印象に残っているからだ。この小説についての感想は文末に付録として付けさせてください。 さてエミール・ギレリスのことを今あらためて調べてみると、彼は1916年にウクライナのオデーサでユダヤ人家庭に生まれた。ここで、ううむと思ってしまう。黒海に面し、現在、戦火にさらされている港湾都市である。第二次世界大戦のときは1941年10月から44年4月まで三年ちかくナチスドイツに占領されていた。28万人に及ぶ人々が虐殺または連行され、犠牲者の多くはユダヤ人だという。オデーサの2021年の人口は約100万人。30年代の大飢饉(ホロドモール)を経た第二次大戦当時の人口は現在よりずっと少なかったはずだから、そこでの28万人の犠牲というのがいかに凄まじいものであったか。ギレリスその人は当時すでに音楽家として名を成しており、オデーサにはいない。ソ連軍兵士を前に慰問演奏をしている動画をネットで視ることができる。頭上を戦闘機が飛び交う野外でラフマニノフの前奏曲ト短調なんか演奏している。念のため断っておけば、ウクライナに侵攻した現在のロシア軍ではない。ナチスドイツの侵攻にロシアとウクライナが一体となって満身創痍で立ち向かい、チャールズ・チャップリンやオーソン・ウエルズが「民主主義の砦・ソ連を守れ」と声を振り絞っていたときのソ連である。
リヒテルのこと
ギレリスより一年早く1915年に生まれた、やはりソ連のピアニストにスヴャトスラフ・リヒテルがいる。「世紀の大ピアニスト」と言われ、盛名、天を覆った。私にしたところで、ギレリスのほうは二年前にブラームスのピアノ協奏曲一番、二番の二枚組CDを買うまで一枚も持っていなかったが、リヒテルならバッハやベートーベンを弾いたLPレコード(CDなんてまだ無かった頃に買った)を何枚か持っている。 全く同世代のギレリスは、リヒテルの巨大さの割を食ったところがいくらかはあるようだ。私はここまでギレリスについての記述を、ネットで見つけた『エミール・ギレリス~鉄の意思のピアニスト~』という文章に少なからず拠っているが、その文章を書いた阿部十三氏(音楽雑誌の編集者であるらしい)が参考にしているのが2007年に出版されたグリゴーリー・ガルドン著『エミール・ギレリス もうひとつのロシア・ピアニズム』という本。「もうひとつの・・」とあるところに、ギレリスがリヒテルの陰に隠れがちなのは不当な評価だという含意が窺われる。ただ、ギレリスの出身がウクライナのオデーサなら<ロシア・ピアニズム>という表記は適切であろうか。本が出版されたときソ連はすでに消滅していたからロシアとしたのかもしれない。原書名をネットで調べたら『Emil'Gilels.Za gran'ju mifa』となっている。私にロシア語はわからないけれど、本のもともとのタイトルにはロシアという言葉は入っていないようだ。 リヒテルも生まれたのはウクライナである。ジトーミル州というのは地図で見るとウクライナの西部のほうだ。父はドイツ人、母はロシア人であった。リヒテルが幼いころ一家はオデーサに移住している。父は1937年、スターリンによる粛清に巻き込まれて逮捕され、41年、ドイツ軍によるオデーサ占領の直前に処刑されてしまう。ドイツのスパイと疑われたらしい。ウクライナの人びとが舐めてきた苛烈な歴史に何とも言いようのない思いにかられる。戦後、リヒテルがソ連の国外(西側)で公演するのがギレリスより遅かったのは、彼のそうした複雑な生い立ちが影響したふうである(亡命が心配された?)。ギレリスのほうは、西側で公演して絶賛されても、リヒテルの生の演奏をまだ知らない人たちに「(称賛は)リヒテルを聴くまで待ってください」と言うのがつねだった。ギレリスのそんな謙虚さも、リヒテルが「幻のピアニスト」と神格化されていくのに一役買うことになったろう。ギレリスは1985年、リヒテルは1997年に亡くなった。
薬草料理で酒盛り
ギレリスが弾くブラームスにすっかり気分を良くしてから家を出る。本通信の今年春号(第5号)に寄稿した『暮れの酒、正月の酒』という文章で飛騨古川の旅館〔蕪水亭〕に触れた。その〔蕪水亭〕がこの日、東京に出張していたのである。JR有楽町駅前の新有楽町ビルの地下一階の一角を借りて店を出す。私より少し歳の若い〔蕪水亭〕あるじは板前としても秀逸な人で、しかも進取の気風。今は薬草を採り入れた料理を次々と工夫している。月に一度の東京出張は商売の損得よりも薬草料理を伝道したいという思いからだろう。その東京出店に行った。 お相手してくれたのは本通信の仲間である三上広昭さんと田中伸治さんだ。このお二人と5月の連休明けに神田で蕎麦屋酒をご一緒したとき飛騨の地酒が美味いことをほのめかしてお誘いしたら快諾してくださった。三上さんに会うと、私はいつも黒澤明『七人の侍』で宮口精二が演じた痩身で寡黙な凄腕の剣客、久蔵を思い出す。いっぽう田中さんは本通信における彼の連載の題名(『酒童日誌』)どおりの方である。古武士と酒の申し子という取り合わせがじつによくて、酒が一段と旨くなる。そうしてこの日はもう一人参加者がいた。かれこれ半世紀来の旧友である繭山惣吉君だ。5月1日の全労協メーデーのとき会場の日比谷野外音楽堂で数年ぶりにバッタリ顔を合わせたので、やはり〔蕪水亭〕をちらつかせたら乗ってきた。彼は都立高校で数学の教師をしていたから都高教労組のOB。 ちょうどランチどきだ。10数人は座れるスペースはわれわれのテーブル以外は客がほどよく入れ替わって、おおむね賑わっていた。いつも魅力的な女将さんが、馴染の客に対応をしたり、初見の客には飛騨という土地について説明しながら立ち働く。われわれ4人は酒盛りである。飛騨古川には<蓬莱>を醸す渡辺酒造と<白真弓>の蒲酒造という二つの造り酒屋があり、町の真ん中に通りを挟んで仲良く向かい合っている。だから古川を愛する者としてはどちらか一方の酒だけをえこひいきするわけにはいかないのだ。そこで、まず<蓬莱>を飲んだら、次は<白真弓>、まだ飲み足りなかったら<蓬莱>・・と交互に酌み交わしていかないといけない。こんな歌がふと頭に浮かんだ。
なかなかに暮れない夏至のひとときの酒はゆるゆる飲むべかりけり
まだ昼間である。夏至じゃなくたって、日が暮れるわけはない。どうにもしまらない歌だが、そのしまりのなさが日の長い夏至らしいでしょう。
【付録として】 本の紹介 『両手にトカレフ』(ブレイディみかこ著 ポプラ社から6月6日刊) 『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』をはじめ優れたノンフィクションを書いてきた著者の初めての小説である。英国の、ロンドンからそう遠くない町を舞台に、一四歳の少女ミアが向き合う貧困が描かれている。緊縮政策が進み、福祉が削られていく中で、父親はおらず、母親はドラッグとアルコールの中毒だ。乏しい生活保護も母がドラッグに使ってしまうから今日食べるにも事欠く。 が、描かれているのは貧困だけではない。八歳の弟チャーリーを想うミアの気持ち、近所に住むシングルマザー、ゾーイのミアやチャーリーへの心遣いがこまやかだ。本誌読者の添田直人さんは通勤電車で夢中になって読んでいて、つい乗り過ごしてしまったという。「ケン・ローチ監督の映画の原作になりそう」とも添田さんは評している。そういえばローチ監督の直近作は『家族を想うとき』であった(原題は『Sorry We Missed You』)。 『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』の雑誌連載が一昨年完結したとき、白人の父と日本からの移民(つまり著者)を母にもつ<ぼく>は一三歳であった。すると実在する<ぼく>と架空のミアとはまったくの同世代であり、『ぼくイエ』と本書の世界はつながっている。では著者はこれまでのようなノンフィクションではなく、なぜ小説でその世界を描こうとしたのか。 著者インタビュー(ネットで読める)によれば、『ぼくイエ』を読んだ<ぼく>に「これは幸せな少年の話だよね」と著者は言われてしまったという。たしかに両親の愛情をたっぷり注がれて<ぼく>はすくすく育つ。東洋からの移民の血が半分入っているからレイシズムの視線に晒されて「ちょっとブルー」になるときがなくはないにしても・・・。 しかし、実際にはレイシズムや貧困だけでなく性的虐待やDVを日常的に受けている子どもたちがいる。自分の視界に入るものにこだわるノンフィクションではそれらは見えてこない場合があり、悪くすると無いことにされてしまいかねない。「フィクションのほうが本当のことを書ける場合もある」(同インタビュー)のだ。 ミアの物語と並行して、彼女の読書体験というかたちでカネコフミコ(金子文子)のことが綴られていく。金子文子(一九〇三~一九二六)とは日本のアナキストで、愛人の在日朝鮮詩人の朴烈(一九〇二~一九七四)とともに天皇殺害を企てたとして関東大震災の直後に大逆罪で捕らわれ、獄中死した。文子の自伝『何が私をこうさせたか―獄中記』における少女時代がリライトされて作中に織り込まれ、ミアは不幸だった少女フミコに自分を発見し共感する。 ミアとチャーリーは絶望的に見えた状況から最後は脱け出せたようである。二人を想う人たちが周囲にいたからだ。読み手はその結末に安堵しつつ、そうはならない現実のほうが多いことも考えさせられる。その現実を変えていきたいという著者の思いを感じ取る。 (『伝送便』誌8月号寄稿) ※文中に出てくる『暮れの酒、正月の酒』(【いてんぜ通信】第5号掲載)の全文も貼り付けます。
by suiryutei
| 2022-08-26 05:31
| 文学・書評
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