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昨日に続き、今日も我が町・我孫子の話題です。 我孫子には、知る限りでは3軒の日本旅館があった。なかでも一番古いのは〔鈴木屋旅館〕ではないかと思う。創業143年。1960年代ころ三島由紀夫が泊まったことがあるという。何か将棋の大きな試合がここで行なわれ、観戦に来たらしい。 その〔鈴木屋旅館〕が先月をもって廃業した。 我孫子というのは、元々は農村地帯だったところに戦後の高度成長期に宅地化が進んだ。首都圏に多いベッドタウンの一つだ。 地方からわざわざ泊まりに来る人は滅多にいないだろう。都心から泊りがけで行くような場所でもない。近すぎるし、観光地でもない。我孫子ゴルフ俱楽部というのは名門らしいが、旅館に泊りがけでコースをまわる客はいるとしても稀だろう。 すると利用者は地元の人が多いということになる。何かの祝い事とか法事に座敷を使う。だから旅館(宿屋)というより料亭である。我が家も30年以上前に母方の祖母の13回忌と父の7回忌とを併せて〔鈴木屋旅館〕でおこなったことがある。三島が来たことがあるというのも、そのときロビーに彼の写真があったので知った。 水戸街道と成田街道とがつながる近くに、成田街道沿いにあって、なかなか古格なたたずまいであった。 今世紀に入ってからは、利き酒の会のような催しに一度参加したことがある。市内の酒屋さんの肝いりだった。 ここ3年のコロナ禍で、そうした人の集まりがほとんど行われなくなった。これがいちばん痛かったにちがいない。 コロナ禍になってからは、仕出しをお願いしたことはある。ここのうな重は、連れ合いによればかなり美味しかったそうだ。酔流亭はウナギを苦手にしているので、仕出しを頼んだときは松花堂弁当にした。しっかりした日本料理で、やはり料亭の板前だなと思った。 我孫子に越してきて40数年たつのに、利用したのは数回だけだから、とても常連ではない。しかし、前述したように水戸街道と成田街道がつながる近くにあるので、水戸街道(国道6号)沿いにあるスーパーマーケットに行くときは前を車で通る。今は雨戸で閉ざされている建物はこの先どうなるのであろうか。 (去年の今頃は病院の中に居て見なかったせいか、今年は彼岸花がよく目につく。今朝の散歩のとき撮影。白い花もいいですね。)
by suiryutei
| 2022-09-23 08:12
| 身辺雑記・自然
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