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プロボクシング元世界バンタム級チャンピオンのエデル・ジョフレ(ブラジル)が死去したのを昨日の朝刊で知った。新聞の記事はそう大きなものではなかったが、さすがにインターネットではたくさんの記事が出ている。 「さすがに」と書いたのは、ファイティング原田との2度の世界タイトル戦はボクシングファンの間で語り草になっているからだ。もっとも酔流亭は、1965年と66年に行われたそれらの試合は見ていない。まだ小学生だった。 酔流亭がファイティング原田の試合をTV実況で初めて視たのは、ジョフレから奪った世界王座の5度目の防衛戦であったライオネル・ローズ(オーストラリア)との試合である。いまネットで調べたら1968年2月だ。それがボクシングのタイトルマッチをTVで視た最初でもあった。酔流亭はようやく中学生になっていた。原田はその試合に僅差の判定で敗れ、それを機に一階級上のフェザー級に転向する。 さてジョフレの名を目にして懐かしい思いがするのは、酔流亭は中学三年の秋から翌年初めにかけて、わずか数か月間ながらボクシングジムに通っていたことがあったからである。1969年から70年にかけてであった。 同じクラスにいた、ボクシング好きの同級生に誘われた。調布市にあったアベジムというところである。いまネットで調べてみたら、このジムは一昨年、2020年まで続いている。同年5月に休止したようだ。酔流亭は国立市にある学校の授業が終わると南武線と京王線で調布まで通い、帰りは京王線で府中に行き、バスで国分寺の自宅に戻ったと記憶している。 もっとも、およそボクシングほど酔流亭に不向きなスポーツは無い。絶対に必要な俊敏性に欠けるし、そもそも闘争心が無い。いくら友人に誘われてついて行ったとはいえ、ジムに通っていた数か月間というのは、いま思い出しても不思議な日々であった。 ジョフレに話を戻せば、あの百田尚樹に『「黄金のバンタム」に勝った男』という作品がある。無敵と言われていたジョフレからファイティング原田が世界タイトルを奪うまでを描いたノンフィクション。百田はろくでもない作家だと思うが、酔流亭とほぼ同世代である(彼は1956年、酔流亭は55年生まれ)。百田少年にとって原田が英雄であったのは理解できる。 7~8年前それがTVドラマ化され、終わりのほうだけチラリと視た。世界戦で原田に判定勝ちが宣せられる場面の実写が挿入されていた。 戦いを終えて、すでにガウンをまとっていたジョフレは、驚いたことに原田に近寄り、抱え上げて祝福したのである。3人の審判の判定は2-1に割れ、どちらの手が上がってもおかしくない試合だったと聞くのに、それはなんともすがすがしい光景であった。 訃報に、原田政彦氏(ファイティング原田の本名)は「とにかく人間が素晴らしかった」とコメントしている。いい話だと思う。
by suiryutei
| 2022-10-05 06:52
| スポーツ
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