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映画『パリは燃えているか』のTV放映を視たことを話題にした14日の更新記事では、朝日新聞8月12日付け朝刊に載った豊永郁子さん(政治学者、早大教授)の論考にもちょっと触れた。 そのときの酔流亭の触れ方はきわめて曖昧なものであった。 「共感しながらも、何かひっかかるものがあった。」 「その<ひっかかるもの>について書かなければならないのだが、まだモヤモヤしたままである。今日は踏み込まずにおこう。」 (どちらも14日更新記事から) これでは<モヤモヤ>しているのは酔流亭の記述のほうである。 ところが、16日になって、墨田のカッパさんがその14日更新記事にコメントを入れてくださった。 豊永郁子の寄稿は、この時代風潮のなかで、地に足をつけて個人の「犠牲を問わない戦争」が間違っていることを指摘していることで、とても共感できました。ヨーロッパでも各地域で「和平派」が多数であることを強調していますね。 酔流亭さんが、豊永の「何かひっかるもの」という「何か」とは、どこの部分か想像してみました。 この文章は、きれいに四つの章に分けられます。その「何か」とは、二つ目の章の冒頭部分ではないでしょうか。 豊永が、「多くの日本人」の「平和主義の核心」、「立場」を「わかった」と述べた部分ではないでしょうか。 ここは、寄稿文の字数制限の関係からなのか、説明、根拠が薄弱です。 まずは豊永が考えている「多くの日本人」の「平和主義」の「核心」「立場」がどうなのか、それと自分はどう異なるのか、説明すべきなのです。 私には、なにか、単純に図式的に、「平和主義者」なるものが切って捨てられるように感じて釈然としませんでした。そんな単純なものではないですよ。いかに屈辱的に弱い者であっても、戦時期に抵抗運動が存在したこと、戦後においてもそれを継承しようとしたこと、これらがすっぽり抜け落ちていますね。 ああ、そういうことなんだな、と、カッパさんの指摘にモヤモヤがかなり晴れてきた。 ことにコメントの最後のほうの「いかに屈辱的で弱いものであっても、戦時期に抵抗運動が存在したこと、戦後においてもそれを継承しようとしたこと、これらがすっぽり抜け落ちていますね」という指摘だ。 映画『パリは燃えているか』に、レジスタンスの若者たちがフランス人の対独協力者の罠にはめられる場面がある。ドイツ占領軍の下で働いているが実はレジスタンスを支持しているんだという男がドイツ軍の武器をひそかに手渡すからと言って、若者たちを連れて行った場所にはドイツ軍兵士が待ち構えていて、若者たちは機関銃の掃射を浴びて皆殺しにされてしまう。 『パリは燃えているか』は仏米の大スターが顔を揃えた商業映画であるから、描かれたものすべてが事実そのものというわけではなかろう。しかし史実をふまえて作られたには違いなく、あのような虐殺はドイツ占領下で無数に行われたのは歴史の本にも書いてある。同胞の若者たちをドイツ軍に売った、あのフランス人対独協力者に、パリ無血開城を行なったヴィシー政権を、酔流亭はやはり思わないわけにはいかなかった。 もっとも、ヴィシー政権の対独協力は、より大きな犠牲を避けるための「擬態」だったという評価もあり、このあたりは現在のフランスでも議論が続いているようだ。モヤモヤせざるをえないのである。 とはいえ、豊永教授のように 「両都市(プラハとパリのことー引用者)は屈辱とひきかえに大規模な破壊を免れた。・・・これらの都市に滞在すると、過去の様々な時代の息づかいを感じ、破壊を免れた意義を実感する。同時に大勢の命と暮らしが守られた事実にも思いが至る。」 とすんなり言ってしまっていいのであろうか。 ヴィシー政権のフランスがドイツに早々に降伏したことによって、ドイツは文字通りの絶滅戦争であった独ソ戦に主力を注ぐことができ、ソ連のあの戦争の死者数は約3000万人というとんでもない数だ。しかもそのうち半数は民間人である。ドイツも約1000万人が死んだ。「大勢の命と暮らしが守られた事実」というのは本当だろうか。パリ(とプラハ)の美しい街並みだけ見て、そう決めてしまっていいのか。 いっぽう、ヴィシー政権の降伏と対独協力にもかかわらず、同政権とドイツ軍占領下でフランス人民の抵抗(レジスタンス)は続き、それがドイツファシズムを倒す一助となった。 新聞寄稿という制限された字数ではないものねだりであるかもしれない。しかし豊永教授の論のもう一つの欠陥は、攻め込まれてからに視野を限っていることである。それでは「憲法9条の下に奉じてきた平和主義の意義」はわからない。憲法9条の平和主義とは、攻め込まれたり、あるいはこちらが攻めたりするようなものではない国と国との関係を作ることこそを謳ったものであるからだ。いま「敵基地攻撃能力」をめぐって、改憲派が「ミサイルを撃ち込まれたらどうする」という議論に終始しているのに対して護憲派が「その前にミサイルを撃ち合うようなことのない国と国との関係を外交で作るのが大事」と論じているのは正当だと思う。そうして、議論の上で護憲派は正当であるにもかかわらず、戦後の日本は憲法9条の平和主義を「奉じて」などいなかった。そういう国と国との関係をつくるために日本が汗をかいてきたとは、とても言えない。 これをウクライナの問題について見れば、冷戦が終わったと言われる1990年前後、いっぽうのワルシャワ条約機構が解体した(1991年)のにNATOはその後も肥大化した。軍事同盟である以上は仮想敵が必要で、ソ連が消えてしまってはそれはロシアということになる。ロシアが圧迫されていると感じるのは自然である。もちろんその圧迫され感を今回のようにウクライナ侵攻で爆発させるのは間違いだ。戦争で犠牲になるのは無辜の人びとであり、ロシアは、プーチンは取り返しのつかないことをしてしまった。しかし、だからロシアに制裁を!と叫ぶだけでは殺戮がエスカレートするばかりだ。戦争を止めるにはこの圧迫され感をなんとかしなくてはならない。日本もNATOに参加なんてのは逆方向にアクセルを踏むことだ。 豊永教授の寄稿から5日後、8月17日の朝日新聞夕刊に載った広岡敬・元広島市長の発言は共感できるものだった。そのことを書いた18日更新記事を下に貼り付け、今日の雑感の結びとしたい。
by suiryutei
| 2022-10-18 06:32
| ニュース・評論
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