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『平頂山事件を考える』(井上久士著、新日本出版社)について書評を『伝送便』誌11月号に寄稿したので転写します。 平頂山事件をご存じだろうか? 一九三二年九月一六日に中国で起きた、日本軍による中国住民の大量虐殺事件だ。平頂山とは、中国の東北地方南部にある集落である。撫順炭鉱のすぐ近くであり、住民の多くは炭鉱で働く人たちとその家族。約三千人が居住していた。そのほとんどが、女性や乳飲み子を含めて、殺された。 その年(一九三二年)の三月、中国の東北地方には満州国が建国されていた。日本が謀略と軍事行動で中国から切り取って(満州事変と呼ばれる)作った傀儡(かいらい)国家である。日本列島の総面積より約三倍も広いそこへ、中国の人たちから土地を奪いとるように植民していった。撫順炭鉱にしても、一九〇一年から中国の人たちが採掘を始めたのを、日本は日露戦争後にロシアから利権を獲得して満州鉄道の経営に移していた。中国人労働者を坑内で劣悪な労働条件と低賃金で働かせる一方、上がる利益は日本が吸い取った。 日本のそうした侵略と搾取に対して中国の人びとが抵抗したのは当然である。一九三二年九月一五日の夜、民衆自衛軍を名乗る武装集団が撫順炭鉱を襲撃した。しかし、待ち構えていた日本の守備隊の反撃に襲撃側は五〇人の死体と捕虜三人を残して夜明け前には撤退する。日本側の犠牲は死者五人と重傷六人、合わせて十一人であった。 この襲撃事件の報復として行われたのが平頂山の虐殺である。一六日の昼間、住民たちは「写真を撮るから」と言われ、片側が崖下になっている窪地に狩り集められた。四挺とも六挺とも言われる機関銃は布で覆われて、住民たちは初めそれを写真機だと思い込んだ。機関銃の掃射は二度にわたって行われ、その後まだ息のある人を日本軍兵士は銃剣で次々と刺し殺す。それから兵の一部は近くの千金堡へも向かった。七一〇戸のこの集落では住民は何が起きたのか感づいており、避難し出していたが、日本兵は住民を見れば片っぱしから発砲し、家屋に放火した。 こうして殺害された総数は二七〇〇人とも三〇〇〇人とも言われる。現在は二三〇〇名余りの名前が確定され、撫順にある記念館の壁面にその一人一人が刻銘されている。 今年八月に刊行されたばかりの『平頂山事件を考える』は、この事件について最新の研究をふまえ、かつ平明に叙述された好著である。著者の井上久士氏はウクライナと「満州」が重なってみえたという。「侵略の主たる犠牲者は、そこで生活している民衆である」(「おわりに」から)。この視点をゆるがせにしてはならないと思う。かさねて思うのは、日本が中国に何をしてきたかだ。いま中国脅威論が喧しいけれど、これは日本が中国を侵略したときのスローガン「暴支膺懲」(横暴な中国=支那を懲らしめよ)とあまりにそっくりだ。 だが、日米韓の合同軍事演習(その名も「斬首作戦」!)に南西諸島への自衛隊ミサイル配備と、アジアの隣国に牙を剝いているのは日本のほうではないか。 ![]() /新日本出版社/一般書/分野別/人文・自然科学/歴史/歴史一般/平頂山事件を考える (shinnihon-net.co.jp) ※関連して
by suiryutei
| 2022-11-05 05:28
| 文学・書評
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