新人事制度 大阪での報告①~③
記事ランキング
最新の記事
タグ
労働(124)
最新のコメント
カテゴリ
最新のトラックバック
以前の記事
2025年 04月 2025年 03月 2025年 02月 2025年 01月 2024年 12月 2024年 11月 2024年 10月 2024年 09月 2024年 08月 2024年 07月 more... ブログジャンル
画像一覧
検索
|
【いてんぜ通信】2022冬号を送っていただいた。 いつもありがとうございます。 ![]() 寄稿した文章を今日と明日に分けて転写します。
![]()
今年の夏、秩父に一泊旅行をした。同じ中学・高校で学んだ友人たちと3人の旅だった。われわれが中学に入学したのは1967年なので、55年来の仲だ。 7月28日の朝、池袋駅の西武線特急ラビューちちぶ9号が発着するホームで待ち合わせる。9時半、池袋を出発した。 安倍晋三・元総理が奈良市で参院議員選挙の応援演説の最中に銃撃されて死亡したのは7月8日だから、その20日後であった。われわれは3人とも1955年の早生まれである。郵便労働者OBの私と建設関係の世界にいたK君とは1月、保険関係の仕事をしてきたW君は2月だ。死んだ安倍氏は1954年9月生まれだそうだから、全くの同学年ということになる。年が改まれば、じき68歳。このあいだ閉幕した中国共産党20回大会では69歳の習近平国家主席や同じく69歳の王毅外相らは例外扱いされたようだが、あの組織でも普通は68歳が定年という慣行があるらしい。病没するにせよ、あるいは安倍氏のように不慮の死を遂げるにせよ、あの世からお迎えが来ても短命とか早死にとかは言われない年齢にとっくになっている。 14年前の2008年夏、この3人にH君が加わって、4人でやはり秩父に一泊旅行をした。同窓で、三鷹の駅前で歯科医をやっていたH君は、その年の春、腎臓から癌を摘出する手術を受けた。彼の術後の療養が名目であったから〔鳩の湯〕という温泉宿に泊まった。 H君はそれから6年後の2014年8月、肺にも居座った癌で世を去った。その年の6月に60歳になったところであった。今年のわれわれの旅は、定年が過ぎても業界にまだ関わっていたK君とW君も春にとうとう仕事を完全にリタイアしたので、その区切りとして企画したものだが、先に逝ったH君を偲ぶという意味合いもいくらかはこもっていた。 秩父に着いてからは、〔秩父川端温泉 甍の湯〕という立ち寄り湯に向かう。旅のスケジュールを組んだW君は、私の温泉好きを配慮してくれたようだ。食堂もあるから昼食はここで摂った。そして宿に行く。寄居の〔亀の井ホテル〕というのは、ついこのあいだまで〔かんぽの宿寄居〕だった処である。
売却された〔かんぽの宿〕
〔かんぽの宿 寄居〕ならば職場の旅行会で何度か利用したことがある。評判はよかった。高台にあるから眺めがいい。最上階(6階建てだったかな?)の大浴場からは下に荒川が流れるのが見えるし、川沿いを行く秩父鉄道の線路にSLが走ることもある(SLは毎日の運行ではない)。それになにしろ都心から近い。都心からは寄居は秩父の入口といったところだ。それが今年7月1日から民営の〔亀の井ホテル 長瀞寄居〕に衣替えした。 ふりかえれば、郵政民営化の迷走が世情を騒がせていた2009年、当時全国に60数か所あった〔かんぽの宿〕と首都圏の日本郵政社宅9件、あわせて簿価約2400億円だったのが、全てを約109億円でオリックス不動産に売却されかけたことがある。このときは簿価と売却額のあまりの開きに「叩き売りではないか」という声が出て途中でストップがかかった。実際、鳥取県の岩井簡易保険保養センターという施設などは僅か1万円で落札されたのである。それが数か月後には約6000万円で転売された。 つまり売却額(時価)は、その施設がどれだけ運用益を出しているかで計算される。当時〔かんぽの宿〕は、黒字施設が11施設のみで財務会計上は事業全体で毎年年間40億円の赤字を出していた。 しかし、〔かんぽの宿〕は公共施設であって、利益を増やすために経営されていたのではない。利益が出れば利用料を低く抑えるなりして利用者に還元すべきものだ。その利益還元がスムーズに行われていたかという点で色々あったにしても、基本的な構造として利益の出ないことになっている。時価はその利益から弾き出される。だから安い。〔かんぽの宿〕に限らず、国有財産や公共施設は安く叩き売ることも優良施設を濡れ手に粟で手に入れることも合法的に可能なのだ。国鉄にせよ郵政にせよ、財界が民営化を欲し、推し進めてきた理由の一つである。安く入手してから営利主義に徹した経営に変えれば大きな利潤を出すことができる。 去年10月時点で全国に残っていた〔かんぽの宿〕33か所のうち32か所が計88億円で売却され、〔亀の井ホテル 〇〇〕に今年7月から生まれ変わった。これも相当な叩き売りではなかったか。そして〔亀の井ホテル 長瀞寄居〕は、このさき大きな利益を経営主体にもたらしてくれそうな優良施設だろう。一晩泊まって居心地の良さは相変わらずだ。宿料は〔かんぽの宿〕時代より少し上がったか。働いている人たちの状態に変化がないはずはないと思うけれど、そこまでは一泊ではわからなかった。
秩父音頭と兜太の句
二日目、宿を出て寄居駅の東武東上線のほうのホームで電車待ちをしていると、秩父鉄道のホームにSLが入線してきた。C58形蒸気機関車363号機というそうで、1944年製造、1972年に累計走行距離105万4,826kmをもって廃車となったのが国鉄の分割民営化直前の1987年に秩父鉄道へ移籍、同年から運転を再開した。これも民営化をくぐり抜けて生き延びてきたわけだ。 ![]() その歴史ある機関車の煙突から煙が盛大に噴き上がっている。14年前の旅のときは客車に乗っておおいにはしゃいだものだ。今回はSLは眺めるだけで、普通の電車に乗って川越までいったん戻って駅ビルの中でウドンを食べた。前日も立ち寄り湯の食堂で食べたお昼はウドンだったな。それから皆野町に行く。 14年前は、たしかSLをここで降りたのだった。昼の時間をかなり過ぎ、といって灯ともし頃にはまだ間があった。そんな時刻に駅前といえども開いている飲食店が見当たらない中で、一軒だけ暖簾の出ている鰻屋があった。〔吉見屋〕という店である。そこに入った。店内では北京オリンピックの女子柔道の試合をTV中継していた。なにしろ2008年夏である。 ![]() 14年も前のことをよく覚えていると我ながら思う。鰻は鰻丼ではなく<ひつまぶし>を食べた。もともと名古屋のほうの鰻の食べ方なのが、秩父の鰻屋でも味わえるとは、すでに全国にひろがっていたようだ。だから今さら説明の必要はない。お櫃に入った御飯の上に蒲焼きが載っている。それをしゃもじで茶碗によそい、好きに食べる。出汁を注いでお茶漬けみたいにしてもいい。ともあれ蒲焼きをお櫃のご飯にまぶすようにするから<ひつまぶし>と言うのだろう。 蒲焼きが焼き上がるまで冷や酒を酌み交わしていたら、給仕の女性が言うに、裏の離れで金子伊昔紅という人の遺品の展示をやっている。なんでも明治・大正の頃の人で土地の文化人。店の当主の祖父はその金子ナントカの俳句の弟子であった。その縁で遺愛の品が店にあるのだという。そこで、<ひつまぶし>を食べ終えた後、急ぐ旅ではないし、離れに行って展示を見た。秩父事件を詠んだ俳句を書きつけた掛け軸なんかもあった(その句をメモしておけばよかった)。 離れから戻ると、女性が「このあいだ息子のトウタさんが来て・・」と話す。 金子・・トウタ・・。えっ、トウタって金子兜太のこと? 果たしてそうであった。兜太の父、金子伊昔紅(いせきこう、本名は元春、1889~1977)は医業の傍ら、土地の若者たちに俳句を手ほどきし、また秩父音頭を現在の形に調えた人である。旅から帰ってから知った。 今年の夏、鰻の〔吉見屋〕は健在であった。ただ、われわれのお昼はもうウドンで済ませてある。14年前は気づかなかった「秩父音頭家元碑」という立派な石碑が皆野駅の近くに建っているのを今年は見つけた。その隣りの大きな木造住宅の玄関の表札は「金子」である。あるいは金子兜太の生家であるのかもしれない。 ![]() いまネットで調べてみると、「秩父音頭は秩父山峡の厳しい生活の中から約200年前に生まれ、昭和の初めに皆野町の俳人、金子伊昔紅氏により一般から公募した歌詞も加えて〝秩父豊年踊り“として公の場で披露された。以来、埼玉県一円で踊り・歌われ、昭和25年には埼玉県を代表する民謡として取り上げられ、秩父音頭と改名された。」ということである(<発祥の地コレクション>というサイトから)。 秩父音頭の冒頭だけ引いておこう。
ハアーァーエ 鳥も渡るかあの山超えて 鳥も渡るかあの山越えて(コラショ) 雲のナァーエ雲の沢立つアレサ奥秩父 ハヨイヨイヨーイヤサ おらがほうじゃこうだよ可笑しきゃお笑いなット コラショ
息子のほうの、1919年生まれの金子兜太は2018年に亡くなった。その晩年、15年の作に
沖縄を見殺しにするな春怒涛
この俳句に説明は不要だろう。私は2016年に郵便局を退職するまで数年間、郵政職場の交流誌『伝送便』の仲間たちと共にJP労組の全国大会に押しかけて会場前で代議員・傍聴の人たちへのビラ配りをやっていたことがある。15年、金沢で開催された全国大会に配ったビラでは、辺野古への軍事基地建設に反対する沖縄の人びとへの連帯を呼びかける箇所で、この俳句を引用して、こう述べた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
沖縄を見殺すな!
そして、どうしても言っておかなくてはならないのは、憲法九条と沖縄のことです。安倍政権による九条破壊と沖縄の民意圧殺に議案の執筆者たちが全く鈍感であるのは本当に情けない。
沖縄を見殺しにするな春怒涛
これは俳人・金子兜太さんの近作です。金子さんは今日の俳壇における第一人者であるのみならず、旧「全逓新聞」始め多くの労働組合機関紙の文芸欄で選者を務めてきました。金子さんのこの思いはまた私たちの思いでもないでしょうか。 心ある代議員・傍聴の皆さんに訴えます。憲法九条を守ること沖縄県辺野古への基地建設に反対することを金沢大会の総意とすべく奮闘しましょう! (『奔流』N0.120 2015年6月17日発行) JP労組全国大会会場前で撒くビラです : 酔流亭日乗 (exblog.jp) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
この声がJP労組全国大会に届いたとは、残念ながら言えない。金子兜太が亡くなるまで長く選者を務めた朝日新聞【俳壇】と同じ紙面に載る【歌壇】のほうの選者の一人、永田和弘氏の2016年の新春詠は
沖縄を翁長雄志を孤立させ深く恥ずべしわたしもあなたも
であった。翁長雄志は言うまでもなく当時の沖縄県知事で、18年夏に任期なかばにして膵臓癌で急逝した。日本政府の沖縄への冷酷と闘っている最中にあっての憤死である。現在の玉城デニー知事はその遺志を引き継いでいる。私は、金子の句と永田の歌をかみしめつつ、沖縄の軍事要塞化に反対する声を上げ続けていくつもりだ。 (明日の更新記事に続く) ※2008年夏の秩父旅行については、こちらの過去記事に。 真夏の秩父に一泊旅行 : 酔流亭日乗 (exblog.jp) SL乗ってひまつぶし(ひつまぶし) : 酔流亭日乗 (exblog.jp)
by suiryutei
| 2022-12-01 08:10
| 文学・書評
|
Comments(0)
|
ファン申請 |
||