新人事制度 大阪での報告①~③
記事ランキング
最新の記事
タグ
労働(124)
最新のコメント
カテゴリ
最新のトラックバック
以前の記事
2025年 04月 2025年 03月 2025年 02月 2025年 01月 2024年 12月 2024年 11月 2024年 10月 2024年 09月 2024年 08月 2024年 07月 more... ブログジャンル
画像一覧
検索
|
【いてんぜ通信】2022冬号への寄稿の後編です。 ![]() 今年の夏に戻ろう。皆野から高麗神社に向かう。JR川越線の高麗川駅から真夏の日照りの下を歩く。約20分。周囲は広々として、神社に近づく途中、水のきれいな川が流れている。境内の、社の裏には珍木なんじゃもんじゃが一本あるから、5月の連休の頃なら、白い糸のような花びらが開くのを見ることができる。 ![]() (なんじゃもんじゃの花。2016年5月撮影) 真夏のこのときは木槿(むくげ)の花が咲いていた。朝鮮半島では無窮花(ムグンファ)と呼ぶそうだ。それが列島ではムクゲに転じたのだろう。韓国では国の花である。いかにもこの神社にふさわしい。 埼玉県日高市にあるこの神社は、その名の通り、古代朝鮮半島にあった高句麗から日本列島に渡来した人たちを祀っている。現在の神主もその末裔だ。創建されておよそ1300年たつ。その少し前の紀元668年、高句麗は唐と新羅に挟撃されて滅ぼされた。地図の上では現在の朝鮮民主主義人民共和国の版図とほぼかさなるようである。 高麗神社には私はこれまでに何度か来ている。コロナ禍で2020年から中止される前、この神社の裏の駐車場で毎年春か秋に開催されてきた<高麗野遊会>という催しに参加した。春ならなんじゃもんじゃの花が咲くのにぶつかるので、この珍木があるのを知っているのだ。野遊会とは言ってみれば青空焼肉大会であって、朝鮮大学校の学生たちが用意してくれた七輪を囲んで肉を焼き、キムチを食べてマッコリを飲む。川柳作家の乱鬼龍さんが選者になって川柳を募るから、
焼き肉のけぶりにあてられ酔いまわる
なんてのをひねりだしたことがある。 もちろん飲んで食べているだけではない。朝鮮大学校の学生による太鼓演奏があり、在日の人びとの輪に日本人も混じっての歌や踊りが続く。記憶に残っているのは2018年の秋に参加したときのことだ。このときも朝鮮半島には緊張が走っていた。川柳コンクールに私は
帝国の 尻尾を残す 旭日旗
と詠んだ。乱鬼龍さんが出したお題の一つは<光り>だったからだ。旭日とは太陽の光である。その年は韓国の済州島で行われた国際観艦式に日本の海上自衛艦が旭日旗を掲揚して参加することに韓国から強い批判と反発が出され、結局、日本は参加しなかった。かつて大日本帝国の海軍が用いていたのと同じ意匠に、日本によって非道な植民地支配を受けた韓国が反発するのは当然である。日本側は艦旗の掲揚は国際的に認められていることだと反論した。けれども、帝国主義と軍国主義を象徴した軍旗と同じ旗を、それを否定して出発したはずの戦後も使っていることがおかしい。侵略戦争と植民地支配に対する反省の欠如がここにも顕われている。なお国際観艦式、今年は日本の海上自衛隊創建70年記念とやらで相模湾で11月に行われると、この稿を書いている10月末時点で聞いている。アメリカ、イギリス、オーストラリアなど12か国が参加。韓国も加わっているが、海自が旭日旗を掲揚する式典への参加は韓国内では今回も忌避の声が強く出されたと聞く。 お題のもう一つは<若い>だったので
終戦が 何より先だ 非核には
お題とはあまりつながらない? 朝米対話の一方の主役、金正恩氏はまだ若いから。 アメリカは朝鮮に非核化を迫る一方で、共和国が求める朝鮮戦争の「終結宣言」を出すことはしぶっている。現在もそうだ。終戦と明言してしまえば軍事介入をやりにくくなるからである。そのころ(2018年10月)、米国ミズーリ州で金正恩氏を暗殺する極秘訓練が行われ、それはステルス爆撃機が金氏を標的にして、先制的にピンポイント攻撃を実施するというものだった。アメリカの著名ジャーナリスト、ボブ・ウッドワード氏が暴いた。今もそう名付けて訓練が続く「斬首作戦」である。そうした状況で、戦争相手の一方の共和国だけが非核化(武装解除)に応じられるだろうか。まず「終戦宣言」を、という共和国の主張のほうがスジが通っている。現在でも共和国からロケットが打ち上げられるニュースを聞くたび私も心が痛む。それの開発製造につぎ込む金を民生に回せれば朝鮮の人びとにとってどんなにいいかと思う。しかし、日米韓の共和国を仮想敵とした軍事演習の凄まじさは共和国のロケット発射の比ではないだろう。 (2016年5月の野遊会から) 二合の酒
高麗神社から〔宮沢湖温泉喜楽里別邸〕という立ち寄り湯にタクシーで向かった。ここでの一浴が旅の仕上げである。帰途は飯能駅から西武線特急ちちぶに乗る。高麗神社にいるときW君がスマホを使って座席予約をとった。便利なものだ。14年前の旅ではこんなこと出来なかった。飯能駅のコンビニで買った缶ビールとカップ酒一本ずつは、急いで空にしないと池袋駅に着いてしまう。都心と秩父とは近い。
年越しの二合の酒のうまかりき
という句が頭に浮かんだ。秩父事件のリーダーの一人だった井上伝蔵が詠んだ。伝蔵は困民党(蜂起した人びとがそう名乗ったのではない。通称である)の会計長を務め、蜂起が敗れてからは死刑を宣告されながらも北海道に落ち延び、名前を変えてそのあと35年間を生きた。その数奇な生涯はつい最近も『小説秩父事件 伝蔵ー困民党会計長』(八木静子著、まつやま書房)という本に描かれたという。私は未読だが。 前掲の句は、まだ秩父にいた若い頃の作だ。真夏の旅だったのに「年越し」では季節が違う。まあ秩父がらみということで赦されたい。 カップ酒は正味一合だし、缶ビール一本を酒一合ということに無理やりすれば、これもあわせて二合の酒である。 ※前編はこちら 秩父の旅2022夏(前) ~【いてんぜ通信】2022冬号寄稿 : 酔流亭日乗 (exblog.jp) ![]()
by suiryutei
| 2022-12-02 08:10
| 文学・書評
|
Comments(0)
|
ファン申請 |
||