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昨日の更新記事で映画『スパルタクス』に言及した。この映画でスパルタクスを演じたのはカーク・ダグラス。 ところが先週金曜にNHKBSで放映された西部劇『明日なき追撃』(1975年)では、カーク・ダグラスは主演のみならず監督そのうえ製作者でもあった。なかなか興味深い作品である。 酔流亭にとって何が興味深かったかというと、やはりカーク・ダグラスが主演した『ガンヒルの決斗』という西部劇がある。1959年の作品。この映画の主人公が、10数年後にはもしかしたらこうなっていたかもしれないな、とふと思わせるところが『明日なき追撃』の主人公から伺われたからだ。 まず『ガンヒルの決斗』とはどういう映画であったか。【AZ通信】第39号(2020年9月1日発行)への寄稿で少し触れているので、そこから引用しよう。 ・・・さて『ガンヒルの決闘』だ。冒頭、九歳の息子と馬車に乗って荒野を行く女性が行きずりの二人の若者に暴行され殺される。女性の肌の色と髪型からして先住民の女性かと思っていたら、はたしてチェロキー族の女性である。そして彼女の夫がカーク・ダグラス扮する主人公なのだ。彼は連邦保安官である。愛する妻がレイプされ殺されたことへの激しい怒りを胸に秘めながら、しかし復讐ではなく犯人を逮捕するために、その若者二人がいる町ガンヒルに向かう。 若者二人のうち主人公の妻に直接手を下した男の父親が主人公の旧友であって、町を牛耳る実力者。それをアンソニ-・クインが演じている。この男は出来の悪い息子が親友の妻を殺してしまったことに苦しみながらも、息子を溺愛するからかばい続ける。 町の「堅気」の白人どもが「チェロキーの女を殺して何が悪い」「賞金出したっていいくらいだ」と、とんでもないセリフを何度もくり出す。犯人の若者にしても、甘やかされて育った世間知らずであっても、とくにワルというのではない。そんな普通の若造が、相手が先住民であればレイプして殺しても罪の意識が全く無い。白人が先住民を侵略・略奪・強姦していったのがアメリカ西部の歴史であったことが映像から滲み出てくる。そしてガンヒルに単身で乗り込んだ主人公の奮闘から、そんな歴史を肯いはしないぞという映画の作り手たちの思いも伝わってくるのである。チェロキー族は一八三八年、ジョージア州からオクラホマ州に作られた「インディアン居留地」に強制移動させられ、一万五〇〇〇人のうち四〇〇〇人が途中で命を落としたという。 『ガンヒルの決斗』の結末は、息子をかばい続ける旧友を主人公は撃ち合いで倒す。撃ち合いの中で旧友の息子も命を落とす。苦い思いを持ちつつ連邦保安官である主人公はガンヒルの町を去っていく。 16年後の『明日なき追撃』でカーク・ダグラスが演じるのも連邦保安官だ。やはり辣腕であって、冒頭、列車強盗の一味を追い詰めて壊滅させ、首領は生け捕りにしてしまう。 『ガンヒルの決斗』との違いは、『ガンヒル・・』の主人公が妻を惨殺した犯人への復讐心を自制して逮捕することにこだわったのは、純粋な遵法精神によるものだった。いずれ死刑になるにしても法の裁きを受けさせなければと彼は考えるのだ。上述したようにその目的は果たせず、犯人は死んでしまうが。 いっぽう『明日なき追撃』の主人公が首領だけは生け捕ることにこだわったのは、近く上院議員選挙に立候補するからである。射殺してしまうより生け捕りにしたほうが名連邦保安官としての声望はいっそう上がる。連邦保安官を長く務めてきた彼は、その実績の上に野望を次第に膨らませてきた。上院議員の先に、さらにその上の座(合衆国大統領)さえ視野に入れているらしいことも会話から覗える。だから強盗団を追跡するときはカメラマンを同行し、首領逮捕の瞬間を写真に撮らせる。選挙ポスターにそれを使うつもりなのだ。 私利私欲をあさる悪徳保安官というのではない。政界進出だって、そのほうが法と秩序を西部に打ち立てられるという動機からであるのかもしれない。しかし、野望と権力欲が漲る人物というのは、どうしても厭らしさが漂う。 結局、盗賊団首領を生け捕りにしたのが彼の躓きになって、しぶとい首領は脱走に成功し、逆に連邦保安官を衆人の前で人質にとり彼の権威を失墜させる。 思えば、この映画が作られた1975年はベトナム戦争でアメリカが完全に敗北した年だ。ウォーターゲート事件はその少し前、1972年である。アメリカのそれまでの価値観が揺らぎ、権力者への不信も拡がっていたろう。そういう世情が作風に反映しているのが窺われる映画である。 なお1971年にグレゴリー・ペック主演で『新ガンヒルの決斗』という映画が日本でも公開されているが、これは題名を借りてきただけで『ガンヒルの決斗』とはまったく無関係の内容(原作小説は『The Lone Cowboy』という題だそう)。また、ここに書いてきたことは、『ガンヒルの決斗』の主人公はその後もしかしたらこうなったかも・・と酔流亭が勝手に妄想をたくましくしただけで、『明日なき追撃』が『ガンヒルの決斗』の続編とか後日譚とかではまったくありません。 (榎の紅葉です。落葉する前に)
by suiryutei
| 2022-12-06 08:03
| 映画・TV
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