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小説家の多和田葉子さんは少女時代を国立市で過ごしたということに8月23日の更新記事で触れた。 通った高校は、国立の西隣にある立川市の都立立川高校だったという。酔流亭は国立の東隣である国分寺市で少年時代を過ごしたから、以来、多和田さんには同郷意識みたいな親近感を持っている。多和田さんは現在はドイツにお住まいだが。 その多和田さんの比較的最近の作品である『地球にちりばめられて』は、国家のような制度としてであれ、同じ母語を話す集団としてのそれであれ、ナショナルなものから距離をとっているのが心地よかった。すると、先述した「同郷意識」みたいなものを云々するのもおかしな話になるけれど。 登場人物の一人、Hirukoは日本人女性である。が、この小説の世界では日本という国は、何か惨事が起きて消滅している。その惨事とは原発に関わることのようであるのが示唆されている。 Hirukoが駆使するのはパンスカという人工言語である。その語パンスカに初めハンスカ夫人を連想した。バルザックと添い遂げた女性の名である。ところがそれはまったくの見当違いで、パンスカのパンとは<汎>、スカとは<スカンジナビア>のことだという。スカンジナビアは普通、デンマーク・ノルウェイ・スウェーデンの三国を言うが、汎がつけば三つの国別にはこだわらずスカンジナビア半島全体ということになる。小説の主な舞台はスカンジナビア三国のひとつデンマークだ。だからパンスカなのだが、Hirukoの行動範囲がスカンジナビアより広がれば、パンスカのスカもそれに応じてスカンジナビアには限定されず広がっていくはずである。パンスカはそういう性格を持つ人工言語らしい。前述したナショナルなものからの距離をパンスカが象徴している。 そんなの未来の話? いや一昨年夭折した人類学者デビッド・グレイバーによれば、人間社会は元々ずっとそうだったらしい。「・・歴史上の大部分の人間にとって、じぶんがどの政府に属しているか明白だったことはなかったのだ。ごく最近にいたるまで世界の多くの住民は、じぶんがどの国の市民なのか、あるいはそれがなぜ重大な問題なのか、確信をもったことなどなかったのである」(グレイバー『負債論』以文社、99ページ)。 登場人物たちの性格も、ストーリーの進み具合も淡泊だ。そこに物足りなさを感じなくもない。しかし、その淡泊さによってナショナルなものと距離がとれるのだろう。先にバルザックの名なんか出したから、19世紀文学の登場人物たちとつい比較して不満を述べてしまったが。 ともあれ、この小説家の作品世界にもうちょっと分け入ってみたい。
by suiryutei
| 2022-12-12 08:18
| 文学・書評
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Comments(2)
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