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昨日の更新記事で酔流亭の生家のことに少し触れた。 その生家は菓子の小売りを生業としていた。今年2月に起きた新潟の菓子メーカー〔三幸製菓〕の工場火災について書いた文章(『通信・労働者文学』および『伝送便』に掲載)でも、わが子ども時代のことを思い出した。 ・・私の生家は菓子の小売業をやっていた。父親が復員して始めたので戦後まもなくからである。JR中央線国分寺駅の北口から歩いて七~八分、商店街がそろそろ寂しくなってくるあたりに店を構えていた。食パンや菓子パンは大手の製パン会社、初めは第一パン、それからかなり長くヤマザキ、一九七七年に廃業するまでの数年は木村屋と契約していたが、煎餅とかチョコレートなど菓子類は問屋から一括して仕入れていた。〔三幸製菓〕の創業は一九六二年、米菓では亀田に次ぐ業界二位のメーカーだから、我が家で売っていた煎餅にも〔三幸製菓〕のものがあったに違いない。・・ さて街の小さな菓子屋にとってもクリスマスは書き入れ時である。クリスマスケーキを売るからだ。 1955年生まれの酔流亭の子ども時代といえば1960年代である。当時のデコレーションケーキ(こういう言い方も今やあまりしないか)は、高級な洋菓子店なら知らず、街の菓子屋で売るケーキには生クリームなんか使わない。美味しくないかわり、いくらでも日持ちする生クリームもどきが使われていた。表面は仁丹みたいなのがまぶしてあった。 その日持ちするクリスマスケーキが、12月の半ばを過ぎると我が家の子ども部屋に運び込まれてくる。他に保管場所がないからだ。箱に入った状態で積まれるからかさばるのだ。子ども部屋は二階で、店舗の真上にあった。 子どものころクリスマス・イヴといえば、そのケーキの箱が掃けていく日であった。 ケーキは自家用に2個残された。一つはイヴの晩に食べ、もう一つは年を越して1月5日の酔流亭の誕生日にバースディ・ケーキとして。 それくらい日持ちしたのである。 今朝、連れ合いにクリスマス・カードと一緒にお菓子をもらう。腸を患う身には生クリームやチョコレートは避けたほうがいいという配慮で、右はマシュマロ、左はビスケット。
by suiryutei
| 2022-12-24 09:56
| 身辺雑記・自然
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