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森鴎外の作品『澁江抽斎』を読み終えた。小説のような伝記のような。抽斎(1805-1858)とは、幕末に実在した医師であり文人。やはり医師であり文学者であった鴎外は彼に自分の同類であるのを感じ、親近したのであろう。 全部で119の章から成って、かなり長いけれども、その一章は今日の新聞連載小説の2回か3回ぶんくらいだから、読みやすくはある。酔流亭は新聞連載を読むようなつもりで、今年になって最初の入院(1月28日~2月9日)の後から読み始め、2度目の入院(3月8日~15日)のあいだは中断、そうして今週なかばに終いまで来た。 119の章から成るといっても、その半ばにも満たない<その53>の叙述において抽斎は死んでしまう。死因は当時流行したコレラであった。しかし著者・鴎外の愛惜は遺された家族にも及び、たとえば<その103>は「抽斎歿後の第二十四年は明治十五年である。一月二日に保の友武田準平が刺客に殺された。・・」といった具合に書き出される。保というのは抽斎の嗣子。そんな具合に、叙述は作品が発表される1916年(大正5年)まで続く。 さて鴎外とちがって医師でも文人でもない酔流亭だが、抽斎の酒には同類を感じた。<その62>に、こんな記述があるのだ。 「・・さて一時は晩酌の量が稍多かった。其後安政元年に五十歳になってから、猪口に三つを越えぬことにした。・・・抽斎は決して冷酒は飲まなかった。然るに安政二年に地震に遭って、ふと冷酒を飲んだ。其後は偶々飲むことがあったが、これも三杯の量を過ごさなかった。」 酔流亭も今年二度目の入院をするまで酒は猪口に三杯としていた。退院いらい今は禁酒しているが、もうじき医師の許しが出るんじゃないかと期待している。 知りたいのは抽斎が使っていた猪口の大きさである。一杯でどれくらい酌むことができたのだろうか。酔流亭が愛用しているのは小説家・大西巨人遺愛の猪口で、友人から譲り受けた。盛り切りで5勺酌める。3杯ならちょうど一合半だ。抽斎の晩酌もそれくらいの量であったろうか。
by suiryutei
| 2023-03-25 09:49
| 文学・書評
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