新人事制度 大阪での報告①~③
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新東京郵便局で働いていた頃の同僚とメールのやり取りをした。酔流亭より数歳若く、まだ現役である。局舎のほうは最近スロープの一部が剥がれるなど老朽化が目立つようになってきたらしい。 ![]() (10年ほど前の新東京郵便局構内。当時この鉄パレットが転倒する事故が多発したので撮影しておいた。酔流亭も現役でした。) 同局が開局したのは1990年8月であった。酔流亭はいま山口瞳のエッセイ『男性自身』のうち、日記体で書かれた時期(1986年~1993年)を毎晩寝る前に少しずつ読み進めているのだが、たまたまそれがちょうど1990年まで来たところである。 昭和天皇が亡くなって元号が替わって二年目。山口瞳の日記を追っていくと、この年の5月3日に池波正太郎が亡くなっている。急性白血病で、67歳だった。山口は講談社『小説現代』の編集者から朝、電話でその知らせを受けている。 すると昨日は池波の命日だった。この年の5月は藤山寛美も亡くなっている。肝硬変で、まだ60歳。池波正太郎も藤山寛美も、今の酔流亭(68歳)より若くして亡くなったんだな。 7月になると高校野球の地方予選が始まる。国立市に在住していた山口は都立国立高校をヒイキにしていた。ところが、国高はこの年は一回戦で敗退してしまう。 「国立高校が駄目なら桐朋高校があるさ」(7月23日の記述)。 国立市内の高校で野球がそこそこに期待できるのは国高とともに桐朋である。じつは桐朋は酔流亭の母校。また山口瞳のご子息・正介さん(山口の小説の中では庄助という字が充てられている)も桐朋出身だ(酔流亭よりたしか4学年先輩)。 で、山口瞳は二回戦以降は桐朋の応援に、よく府中市営球場に通う。この年の桐朋は珍しく勝ち進んだ。五回戦も突破し、準々決勝で日大鶴ケ丘にコールド負け。結局この日大鶴ケ丘が西東京大会を制した。わが母校、よく頑張ったじゃないか。 高校野球が面白いのは地方予選までというのが山口の考えだったようで、8月に入っても甲子園についての記述は日記に全くあらわれない。あの年の8月といえば、酔流亭は開局したばかりの新東京郵便局で、仕事の流れがそれまでとずいぶん違っているのに四苦八苦していたな。 そうそう、7月19日の記述に「この猛暑で市内で死人が出たそうだ。熱中症というらしい」とある。几帳面に書き込まれている天気は、15日が雨のち晴れ、16日が曇りとあって、17日から晴れが続くから、そのころ梅雨が明けたのだろう。33年前は「熱中症」という言葉はまだ耳新しかったようだ。 今年に話を戻す。今日の午後は我孫子市の<憲法を考える市民の集い>に出かけて行って水島朝穂・早大法学部教授の話を聴くつもり。酔流亭より一学年上の水島さんは、高校は国立高校のご出身である。 ![]()
by suiryutei
| 2023-05-04 08:31
| 身辺雑記・自然
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