新人事制度 大阪での報告①~③
記事ランキング
最新の記事
タグ
労働(124)
最新のコメント
カテゴリ
最新のトラックバック
以前の記事
2025年 05月 2025年 04月 2025年 03月 2025年 02月 2025年 01月 2024年 12月 2024年 11月 2024年 10月 2024年 09月 2024年 08月 more... ブログジャンル
画像一覧
検索
|
13日の土曜日の夕方、新東京郵便局で働いていた頃の同僚たちと飲んだ。 5人で飲んだのだが、この顔ぶれは酔流亭の〔まつや〕贔屓を知っているので、いつも場所を神田にすることに同意してくれる。 その神田は、4年ぶりの神田祭でにぎわっていた。〔まつや〕でも店頭に提灯が吊るされ、縄が張られている。祭りの法被姿のお客さんがいたし、帳場に座る若女将も法被を羽織っている。 祭りの午後の蕎麦屋酒。いいものでしたよ。 別れる前、Kさんが手提げ袋をくださった。中には箱入りのウィスキー! 今年の干支であるウサギがラベルに描かれたサントリー・オールドである。暮れにこの顔ぶれで飲む約束をしてあったのが、酔流亭の病気で延期になっていた。Kさんは暮れに酔流亭に渡すつもりで用意していてくださったのだ。 チョコレート菓子もいただく。〔Summer〕とスタンプされているから、こちらは今回新しく買ってきてくれたのだろう。 Kさん、ありがとうございます。オールドもお菓子も、連れ合いともども有難くいただいています。 話は変わる。 昨日、下の古い更新記事に、どうしたことかアクセスがたくさんあった。 この更新記事自体は2016年3月16日の日付だから7年前のもの。退職直前だった。さらに記事で紹介した労組日刊紙は1995年2月23日の日付で、もう28年前だ。 アクセスしてくれた人は、こんな古い書き散らしをどうやって掘り出したのだろうか。 もっとも、そこに書いた久保田万太郎と赤貝のエピソードは、つい最近【いてんぜ通信】に寄稿した文章の中で湯豆腐を加え、また石川 淳を引用しつつ、焼き直している。その箇所だけ貼り付けておきますね。 万太郎と湯豆腐と赤貝
冷ややっこもいいけれど、寒い日の温かい豆腐は身も心も温まる。それで私は、今年の年賀ハガキにこんな短歌もどきを書きつけてしまった。
湯豆腐がいよいよ好きになってきた いのちのはてはまだ先だけど
言うまでもなく、久保田万太郎の俳句「湯豆腐やいのちのはてのうすあかり」に寄りかかった呟きである。ところが、この俳句の達人の「命の果て」は、豆腐ならぬ意外なところからやってきた。1963年、万太郎が74歳で急逝したとき、同郷の文士・石川淳が彼を追悼した一文『わが万太郎』から冒頭を引こう。
/////////////////////////
すききらひを押し通すにも、油断はいのちとりのやうである。好むものではないすしの、ふだん手を出そうともしないなんとか貝なんぞと、いかにその場の行きがかりとはいへ、ウソにも付き合はうといふ愛嬌を見せることはなかった。いいえ、いただきません、きらひです。それで立派に通ったものを、うかうかと・・・このひとにして、魔がさしたといふのだらう。ぽっくり、じつにあつけなく、わたしにとつてはただ一人の同郷浅草の先輩、久保田万太郎は地上から消えた。どうしたんです、久保田さん。久保勘さんのむすこさんの、ぶしつけながら、久保万さん。御当人のちかごろの句に、湯豆腐やいのちのはてのうすあかり。その豆腐に、これもお好みのトンカツ一丁。酒はけつかうそれでいける。もとより仕事はいける。ウニのコノワタのと小ざかしいやつの世話にはならない。元来さういふ気合のひとであつた。・・・
//////////////////////////
文中「なんとか貝」とあるのは赤貝のことだ。画家の梅原龍三郎邸での宴席に招かれ、赤貝の握り寿司を勧められた。万太郎はナマモノを苦手としていて普段は貝の寿司なんて食べることはなかったのに、その日はどうしたことかそれを口にして誤嚥、窒息死してしまったのである。 ・・・・・・ ![]()
by suiryutei
| 2023-05-16 09:03
| 酒・蕎麦・食関係
|
Comments(0)
|
ファン申請 |
||