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今日から6月。『伝送便』誌の6月号も完成した。昨日、発送を行なっている。 ![]() この号に寄稿した文章を転写します。このブログの4月28日更新記事『酒屋と民権』にすこし手を加えたもの。文中、明治政府が酒税を上げたことに触れたが、ドラマ『らんまん』の今週の展開もそこにさしかかっている。万太郎の実家である造り酒屋〔峰屋〕の運命やいかに。気になるところである。 ![]() NHK朝ドラ『らんまん』の主人公・槙野万太郎(神木隆之介)のモデルは植物学者の牧野富太郎(一八六二~一九五七)。ドラマ進行の現時点(五月下旬)では東京に出てきて東京帝大の研究室に出入りしている。小学校中途退学なので正規の学生ではないが、植物研究へのずば抜けた熱意と博識が認められたのだ。時代は明治のなかばに入ろうとしている。 すこし前、四月下旬ごろの放送では彼はまだ郷里・土佐にいて、そのころ全国で澎湃と沸き起こっていた自由民権運動と遭遇する。土佐は、自由民権運動が全国でも一番盛んな土地であった。ジョン(中濱)万次郎も登場、宇崎竜童が彼を演じた。民権運動のリーダーの若者が万太郎をジョン万次郎に引き合わせる。 今年三月に老衰で亡くなった大江健三郎(一九三五~二〇二三)の若いころの作品『万延元年のフットボール』(一九六七年)をちょっと思い出した。四国の山村を舞台に小説は展開していくが、六〇年安保挫折世代である主人公兄弟のご先祖に、幕末、山を越えて高知まで行ってジョン万次郎に会ってきた(かもしれない)人物がいるのである。本当は会っていないようだけれど、ジョン万次郎が新時代の知識を象徴した存在だから、そのご先祖の魁偉さを示すエピソードとして、そう言い伝えられてきた。 万太郎のモデルである牧野富太郎も、史実としてはジョン万次郎と会った可能性は低いようだ。ただ、自由民権運動と関わったのは事実らしい。彼は造り酒屋の跡取り息子で、あの時代、自由民権運動の先頭に立ったのは全国の造り酒屋なのだから。たとえば「酒屋会議」なんて事件があった。一八八二年(明治一五年)のことである。 当時も日本政府は財政難であった。西南戦争でさんざ軍費を使った後だ。そのころ日本の製造業を代表するのは酒造りである。国内最大の生産額を持つ工業であった。日本で産業革命が起きるのはまだこれからという時期だ。 そこで、政府は、この代表的製造業からの税である酒税を上げようとした。「酒屋会議」とは、これに抗する全国の造り酒屋のネットワークである。反政府的な集まりは禁じるというので、大阪の淀川に船を並べて会同した。営業の自由と減税を求める檄文は植木枝盛が執筆する。自由民権運動の当時は左派を代表するイデオローグである。 「酒屋会議」の民権運動ネットワークとしての発展は残念ながらその後あまり見られなかった。檄文を書いた植木枝盛も、文章は上手だけれども口だけの人という印象が強い。しかし、全国で澎湃とした自由民権運動に積極的に参加した造り酒屋のあるじは少なくない。「酒屋会議」が開かれたのと同じ年に起き、民権運動を代表する福島事件の指導者・河野広中も造り酒屋を経営していた。 なお牧野富太郎の生家である造り酒屋は高知県佐川町にあった。ドラマでは〔峰屋〕という屋号。史実ではやがて家運が傾いて司牡丹酒造に統合されてしまう。本誌の全国編集会議が二〇一四年秋に京都で開催されたとき、夜の懇親会をやった居酒屋が土佐料理を看板にしていて、そこで〔司牡丹〕を飲んだ記憶がある。すっきりした酒である。 ※元になった本ブログ4月28日更新記事はこちら。 酒屋と民権 ~朝ドラ『らんまん』余話 : 酔流亭日乗 (exblog.jp) カット写真は、飛騨古川の〔蕪水亭〕で前に飲んだ冷酒だ。涼し気でしょう。何年か前の今ごろの季節に泊まったときに撮影。 ![]()
by suiryutei
| 2023-06-01 08:24
| 映画・TV
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