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2日から3日にかけて降った大雨で手賀沼が危険水位に達したのを3日の更新記事に書き、昨日の更新記事では雨のあと4日に撮った沼の写真をUPした。このところちょっと手賀沼づいている我がブログである。 折しも、一昨日(日曜)の東京新聞の投歌欄(【東京歌壇】)にこんな歌が載っていた(選者は佐々木幸綱氏)。 真ん中の歌です。 かつしかのあびこの沼の夏鴨は水脈生み水脈をひきつつ遊ぶ 情景が目に浮かぶようだ。水脈は<みお>と読むのだろう。杉田水脈なんてヘンな国会議員がいるが、今は視界から消そう。 さて<かつしか>といえば、まず寅さんの葛飾柴又が思い浮かぶ。東京23区のうちの葛飾区である。しかし、もともと葛飾とは <下総国の西端に位置する 南北に長い広大な郡で、南は東京都墨田区・江東区・葛飾区・江戸川区、千葉県市川市・船橋市西部、北は埼玉県杉戸町、茨城県五霞町に及んでいた>(ネット記事から) そうだ。すると千葉県の北西部はすっぽり入る。だから上掲の歌にある<かつしかのあびこの沼>は千葉県の我孫子市と柏市の境にある手賀沼を指していると考えて間違いない。この歌を投じた人は埼玉県川口市在住となっているけれど。 県外の人にまで詠んでもらえるなんて、手賀沼を愛する酔流亭としては嬉しいですねえ。 (これは3日の午後、雨がやんで青空が出たとき、ちょっと離れたところから撮影) ところで若山牧水の『水郷めぐり』という紀行文に手賀沼がちらりと出てくる。紀行の時季は1919年6月、梅雨のときである。彼は上野駅から常磐線に乗り、おそらく我孫子駅で成田線に乗り換えて成田や水郷佐原へ向かったのだろう。 ・・・・三河島を過ぎ、荒川を渡る頃から漸く落ち着いた、東京を離れて行く氣持になつた。低く浮んだ雲の蔭に強い日光を孕んでをる梅雨晴の平原の風景は睡眠不足の眼に過ぎる程の眩しい光と影とを帶びて兩側の車窓に眺められた。散り/″\に並んだ眞青な榛の木、植ゑつけられた稚い稻田、夏の初めの野菜畠、そして折々汽車の停る小さな停車場には蛙の鳴く音など聞えてゐた。手賀沼が、雜木林の間に見えて來た。・・・・ 「蛙の鳴く音」は手賀沼の周りでは梅雨の季節、現在でもよく聴こえる。
by suiryutei
| 2023-06-06 08:40
| 身辺雑記・自然
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Comments(2)
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葛飾は荒川、中川、江戸川などに挟まれ、東には水郷、水元公園が在り昔ここは小合溜めと呼ばれていました。今では春の桜、梅雨の菖蒲で有名な公園です。近くには広い釣り堀もあり釣り仙合とも呼ばれ都内でのヘラブナ釣りでのメッカになっています。そのすぐ近くにはあの有名な帝釈天が在り、その裏を流れる江戸川ではこれもまた有名な矢切の渡しが在ります。手漕ぎの渡しで対岸に渡れば、ゴルフ場の間を抜けて土手に上がり、結構歩いて、泣き石で有名な里見公園に着きます。歩くのが嫌ならばエンジン付きの船で直行でき、そこからは京成電鉄に乗り帰れます。帝釈天の参道では草団子やウナギなどが楽しめ、昔は職人がお参りしていた帝釈天の中には大きな鐘もあり本堂の周りの彫り物や天井の龍の絵なども見られます。近年に近くで寅さんに似た顔の埴輪が発掘されて注目されてもいる様です。水郷の水元公園、帝釈天、江戸川、矢切の渡しが葛飾です。ここが私の故郷の葛飾です。近隣にある手賀沼や印旛沼や牛久沼などは私には葛飾のイメ-ジは無いのです。
国分寺には古墳と多摩川のイメ-ジは在りますが高尾山のイメ-ジは無いですね。変な例えでしたが私の故郷としての主張です。皆さま是非に都の水郷、葛飾においで下さい。 開き直り主義者。タカ。
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タカさん、おはようございます。
タカさんの故郷は葛飾でしたか。柴又は私も好きです。 私の故郷は国分寺です。多摩川へは子どものころ自転車を漕いでよく行きました。 いま住んでいる我孫子は利根川沿い。どちらの河川も好きです。
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