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一昨日閉館した中野サンプラザが開業したのは1973年6月。酔流亭が高校を卒業した年である。 4月から新宿区内にある大学に通い出した。そのころ国分寺に住んでいたから中央線を使う。中野駅前のあの建物を車窓から毎日眺めた。50年前は背の高い建物は今よりずっと少なかったから、あの前屈みな三角形は偉容、あたりを払った。というか、何という怪態(けったい)な姿のビルであるかと思ったものだ。 75年夏には大学を中途退学し、秋から東京中央郵便局で働き出した。同局は東京駅の前にあったから、通勤でも中央線を使う。中野駅を通り、サンプラザを窓から眺めるのはやはり毎日のことだった。78年春に、現在暮らしている千葉県我孫子市に引っ越した。中央線とも、したがって中野界隈とも縁が遠くなった。 時は流れて、2003年4月、中野サンプラザの中にある集会室で歴史家・色川大吉さんの講演会が行なわれるのを新聞の小さな記事で知った。 その一月前の同年3月、アメリカを主体とする〝有志連合”なる国々(イギリスほか)がイラクに戦争を仕掛けた。日本政府は戦争を支持した。酔流亭はじっとしていられなくて、あの高名な民衆史家が何を語るか聴きたくなった。講演会はたまたま泊まり勤務の明けにあたる日である。こうして、かつては毎日のように眺めていながら、その中に入ることは滅多になかった中野サンプラザに入った。 下の写真は、その講演会の質疑応答の時間に色川さんに質問する酔流亭である。 色川さんの教え子さんたちが運営する市民サークル〔フォーラム色川〕が発行した冊子に載っていた。中野サンプラザの50年間の歴史に、自分が過ごしてきた半世紀をふとかさねてみる。 ※関連して
by suiryutei
| 2023-07-04 08:49
| 身辺雑記・自然
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