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嬉しいニュースだ。 5月に出た『被差別部落に生まれて~石川一雄が語る狭山事件』(岩波書店)について友人の添田直人さんが『伝送便』7月号に書評を寄稿してくださったことは1日更新記事でも紹介した。 その誌面は、これ。 そのご添田さんが同号を岩波書店編集部に送ったところ、著者の黒川みどりさんから添田さんへ、書評への礼状が届いたのである。 礼状は黒川さんから添田さんに宛てた私信なので、文面をここで紹介することは控えるが、岩波書店の編集者を通じて『伝送便』7月号を入手したこと、とても嬉しく、励まされたことが手書きで書かれている。 黒川さんは現在、静岡大学の教授。 ![]() 書評を掲載した『伝送便』の編集部としてもうれしいことだ。狭山事件の再審を実現させ、石川さんの冤罪を晴らしたいと改めて思う。 添田さん執筆の書評記事の全文を下にコピーします。 黒川みどり先生の近著、『被差別部落に生まれて~石川一雄が語る狭山事件』(岩波書店)を読んで、うれしくて、感想を書きたくなりました。 狭山事件、狭山闘争を知らない方も多くなりましたが、一世代以上前の大学や職場では立て看が並びたくさんのビラがまかれていました。 狭山事件とは、一九六三年埼玉県狭山市で高校生が行方不明になり、身代金を要求した犯人を警察が取り逃がし、被害者が遺体で発見された事件です。初めから被差別部落を中心に捜査され、石川一雄さんが別件で逮捕され、一審で死刑判決、二審で無期懲役判決、最高裁で上告棄却で確定され、再審請求中です。石川さんは一九九四年に仮釈放になるまで、三二年間獄中にいました。 黒川先生の本は自分の視点で「狭山裁判闘争」をどうとらえるのか、石川さんへのインタビューを通じて明らかにしたいと主張されています。それに共感を覚えました。狭山差別裁判糾弾闘争は思いもかけずに長い闘いになっています。それぞれが狭山闘争にかかわってきた自分の立場を思い返すことで、どのような意義があったのか、今こそ明らかにすべきではないでしょうか。 石川さんは逮捕当時、自身が被差別部落に生まれたことを知らず、文字の読み書きができませんでした。仮釈放後の石川さんのお話しから、獄中で看守に文字を教えてもらったことは聞いていました。看守は学生時代、狭山闘争にかかわる友人がいたのです。その詳しい状況がこの本に書かれています。 看守がおしえてくれた最初の漢字が、「無実」という言葉、次の言葉は「たすけてください」です。その書き方を教えてくれただけでなく、支援者に手紙を出せと言って、お連れ合いと協力して処分覚悟で便箋や封筒、切手、国語の辞書を買い与えたのです。石川さんは「無実です。たすけてください」と書いて出すことができたのです。 思い起こせば、七十年代、八十年代の石川さんの獄中アピールはとても激烈でした。そのアピールが集会で代読されるたびごとに、戦闘的な内容に当時の私たち学生たちが「うれしくなってしまった」という状況がありました。それはいま思うと、観念的で何もわかっていなかったとくやしい気持ちがこみ上げます。未だに有罪判決を覆すことができない責任を思うと、力がなかったことが誠に恥ずかしいことです。何としても再審裁判所に無実を認めさせないといけないと思うのです。 でも、石川さんが、私たちのようなどうしようもない学生ですら「喜んで」しまうような内容のアピールを、当時なぜしたのでしょうか。その理由がこの本を読んでわかった気がしました。 おそらく、石川さんは、自分に文字を教えてくれた看守が、なぜそんな親切にしてくれるのかと思ったとき、看守を通じて自分の無実をおしえた学生のことを考えたはずです。その学生が誰なのかはわからないけれども、自分を救ってくれるものに連なる学生を信頼したのではないでしょうか。私たちのようなどうしようもない者たちへも、その恩返しの気持ちを込めてあのような内容のアピールを書いてくれたのではないかと思うと胸があつくなってきます。 被差別部落に生まれて - 岩波書店 (iwanami.co.jp)
by suiryutei
| 2023-07-20 08:05
| 文学・書評
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