新人事制度 大阪での報告①~③
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昨日は江古田斎場に行った。郵政ユニオンの創立時からの中心メンバーの一人で、『伝送便』の古くからの読者である斎藤明男さんの告別式に参列する。 始まる前、会場には森田童子の歌が流れた。酔流亭の連れ合いは森田童子が好きで、CDは全て持っている。そこで自宅にいる彼女にlineで「いま森田童子が流れているよ」と伝えたら驚いていた。故人はエンディング・ノートに葬儀の進め方も記して、どんな音楽を流すか選んでおいたという。出棺の前にはビートルズの曲が流れた。 式は無宗教で行なわれ、僧侶の読経も焼香も無しで、故人の友人が遺影に語りかけ、各地から届いたメッセージが読み上げられて進行した。いい葬儀だった。 故人は食道がんをはじめ「三つの癌」を抱えていた。直接の死因はこめかみの近くにできた癌。78歳だった。 1963年から65年にかけての東京学芸大学寮闘争では、20歳になるやならぬの斎藤さんは全学闘争委員会の副委員長を務めた。全学ストライキを構えて闘争に勝利したことを、参列者に手渡された「東学大寮闘争史年表」で知った。 酔流亭が故人と親交を得たのは、彼の最晩年になってからだ。3年ほど前だったろうか。毎月第一月曜の夜に行なわれる辺野古基地反対防衛省前抗議行動に当時はよく参加していたことを郵政シルバーユニオンの機関紙に寄稿した。防衛省に出向く前の時間、神田の蕎麦屋〔まつや〕に寄ることが多いとも書いた。その記事を読んだ故人が、あるとき〔まつや〕にも防衛省前にもご一緒してくださったのだ。すでに闘病生活のさなかであったのに。 川柳や短歌をよくされ、『落書』(おとしがき)と題する通信をしばしば送ってくださった。 これが一番最後の通信だろう。発行日付が5月20日となっている。亡くなる直前まで状況と向き合っていたことが覗われる。 ふと、こんな31文字が浮かんだ。 秋が立つそれにはすこし早いけど男斎藤いま黄泉へ発つ 明男の名がもし秋男だったら、姓名を順が逆ながら詠み込めたのだが・・・。
by suiryutei
| 2023-07-22 09:04
| 身辺雑記・自然
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