新人事制度 大阪での報告①~③
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一昨日の日曜、立川でクラス会に参加したことは昨日の更新記事に書いた。 午後1時から始まった会は3時過ぎにお開きになった。まだ飲み足りない(話したりない)諸君はもう一軒行くようであったが、酔流亭は病み上がりの身、はしご酒は慎まなければ。 とはいえ、陽はまだ高い。利根川の畔から多摩地域まで出張ってきて、すぐ帰るのも惜しい。 母校のある国立の街を久しぶりに眺めるか、あるいはその隣りの、生まれ育った国分寺に寄ってみるか。なお我が母校は桐朋という学校である。 立川駅から上り電車に乗った。ところが、これが特別快速だったらしい。立川のとなりの国立駅は停車せず通過してしまった。国分寺駅には停まる。 国立散策は諦めて、わが揺籃の地・国分寺で下車した。 思い出せば去年9月、歴史学者・色川大吉さん(一昨年9月に逝去)の教え子さんたちと飲む機会があり、国分寺に来ている。色川さんが長く教鞭を執り、三多摩自由民権運動を研究する拠点とされた東京経済大学は国分寺市にあるので。 ほぼ一年ぶりの訪問となった。 国分寺の街では表通りより裏通りに惹かれる。お隣の学園都市・国立にはない淫靡さが漂っているような。 酔流亭が国分寺に居たのは1977年まで。この蕎麦屋の店構えはその頃と変わっていない。「スカッと飲もうスカット」なんて謳い文句の飲料が、たしかに昔あったよなあ。お隣のスポーツ用品店はもう廃業したようだ。中学の頃ここでマラソンシューズなんか買った。 酔流亭の生家は菓子の小売りを営んでいた。右隣は蕎麦屋。通りの斜め向かいは酒屋で、当時の酒屋は大抵どこもそうだが、角打ちで酒を飲ませた。店の隅にカウンターがあって、清酒なら一升瓶からコップに注いでくれる。ツマミは、着色料たっぷりの赤いイカ燻製の串に刺したのなんかがセルロイドの大きな瓶に入ってカウンターの上に置かれていた。 もちろん少年だった酔流亭は、そこで角打ちの酒を憶えるにはまだ早かった。しかし、70歳に近い今、蕎麦屋酒が大好きなのは、隣りが蕎麦屋で向かいが酒屋だったという育った環境に影響されたせいかもしれない。 わが生家跡に、往時を偲ばせるものは何もなかった。
by suiryutei
| 2023-08-22 08:50
| 身辺雑記・自然
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