新人事制度 大阪での報告①~③
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【いてんぜ通信】2023秋号(9月1日発行)に寄稿した『酒呑みの弁』を、今日と明日の二回に分けて転写します。 ![]() 今年の冬から春にかけて二度の入院をしたことは本通信の今年春号と夏号に書いた。『豆腐で飲む』(本通信9号寄稿)と『もりきり五勺』(同10号寄稿)である。病状報告のつもりが、どちらの文章もタイトルが酒にまつわっているのに、われながら呆れてしまう。どうも、酒を呑むことが、病み上がりで酒量はだいぶ落ちたにもかかわらず、好きで好きでしょうがないのである。 それはともかく、今年の春さき、一度目の入院と二度目との間で自宅に引きこもっていた或る晩、本棚にあった『江分利満氏の優雅なサヨナラ』(新潮社)にふと手が伸びた。 ![]() 小説家の山口瞳(1926-1995)が『週刊新潮』に連載していたエッセイ『男性自身』の単行本最終巻である。タイトルは山口の小説デビュー作『江分利満氏の優雅な生活』(1963年第48回直木賞受賞)から来ているのだろう。山口は1995年8月30日に肺癌で死去するギリギリまで『男性自身』の雑誌連載を書き続けたから、亡くなった日と、絶筆となった回が掲載された『週刊新潮』の発行日付がほぼ同じであったと記憶する。そうして『優雅なサヨナラ』の奥付では発行日付が著者の死からわずか一月後の同年9月30日である。連載31年のあいだ一度も欠を出さなかった作家の気合に応えて、出版社は超特急で単行本化したと思われる。亡くなるまでの一年半余に書かれた79編が収められた。 私が今さら読んでみたくなったのは、それが彼の67歳から69歳にかけての文章だからだ。私は今年68歳。実際の生年の差29年を超えて、書物の中の彼は今の私とまったく同年代ではないか。しかも60歳を過ぎてからの彼は病院と縁が切れない。頚椎症、高血圧、糖尿病、前立腺癌、・・・。死因となったのは肺癌だが、急速に進行したこれは本人に伏せられており、連載では自分の体調を詳しく記述しているのに肺癌という病名だけは最後まで出てこない。私の今年二度の入院は、一度目は腸閉塞の開腹手術(正確には腹腔鏡を使った手術だが、S状結腸41㎝を取り出すのに腹を切り開かれた)、二度目は胃癌の内視鏡による摘出手術であった。どちらも難病というほどではないにしても、これまで大きな病気を体験したことがなかったから、連続しての入院手術はそれなりに身に堪えた。人生の残り時間ということを考えた。かくて、かつては酒呑みの大先達とばかり面白がって読んだ山口瞳(『酒呑みの自己弁護』なんて題名の著書もある)が、にわかにもっと身近な存在に感じられ出したのである。
卑怯者の弁
いや面白がって読んでいただけではなかった。11年前に『思想運動』という新聞に山口瞳の文章を紹介したことがあった。同紙の2012年7月15日発行号である。当時『思想運動』には〔時代と切り結ぶ銘文・銘言〕と題する連載コラムがあった。山口の『卑怯者の弁』という文章のことをそこに書いたのだ。そのコラムの作法では、古今東西の著作から印象に残る箇所を短く抜き出し、コラム執筆者が注釈をつける。私もそれに倣った。合わせて2000字弱の全文はこうである。
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私は、職を失って、まったくの失意の状態であったときにサントリーの宣伝部に就職することができたし、父の借金を返すために書いた雑文が小説として評価され、いきなり文学賞を受けるなど、およそ信じられないくらいの幸運にめぐまれた男なのであるけれど、わが生涯の幸運は、戦争に負けたことと憲法第九条に尽きると思っている。 (中略) 不思議な経験をした。 私は、しばしば、所沢の西武球場へ野球を見に行くのであるが、この西武球場では、試合前に国歌が演奏され、選手はグラウンドで整列し、脱帽して直立不動の姿勢をとる。観客も起立して脱帽する。 私は、生来、単純な人間であって、国家には国歌があったほうがいいと思うし、大勢の人間が同じ行動をするというときの一種の快さを好んでいたので、必ず起立して脱帽していた。それどころか、一緒に行った友人に「立とうじゃないか」と起立を促すことさえあったのである。 ところが、清水先生の「話題の爆弾論文」を読んでからは、国歌が演奏されても起立することができなくなってしまった。金縛りにあったようだった。 そうして、背中に、何とも言えない不快な痛みを感じた。いきなり背中を棒で突かれるのではないかという恐怖を感じた。そういう時代が来るのではないか。いや、絶対に来させてはいけない。目の前の人工芝のグラウンドが学徒出陣の場になるのではないか。いや、そいつだけは御免だ。命を捨てるとすれば、そこのところだ。そういう思いが去来して体が慄えてくるのである。 (新潮文庫『男性自身 卑怯者の弁⑤』山口瞳) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ (ここから私の注釈) 市井の一平和主義者として
六〇年安保のとき反対運動の指導者の一人でありながら、そのご改憲論者に転じた清水幾太郎(一九〇七~一九八八)が論文『日本よ、国家たれ!』で日本は独自核武装すべしと主張したのは、一九八〇年のこと。文中に「清水先生の『話題の爆弾論文』」とあるのはそれを指す。自らの戦中体験を踏まえて反論に立ったのが山口瞳だった。「卑怯者の弁」と題し、雑誌『週刊新潮』に彼が毎号連載していたエッセー『男性自身』に五週にわたって書かれた。一九二六年生まれの山口(一九九五年没)は、敗戦前に早稲田大学を中退したあと応召、短いながら軍隊生活を体験している。戦争で命を落とした同世代は少なくない。 しかし山口瞳といえば、サントリー・ウィスキイやJRA(日本中央競馬会)のCMからの印象のほうが強い。本人自身が語っているように、平和のために行動するという人ではなかった。エッセーを連載していた『週刊新潮』にしてからが、われわれに言わせれば相当いかがわしい雑誌。文中に国歌とあるのは「君が代」のことだけれども、これだって、あれをそうあっさり国歌と決めてかかっていいものか。細かいことを言うと、この文章が書かれた一九八〇年当時「君が代」を国歌と定めた法律など存在していない。法的には一九九九年に成立した「国旗国歌法」に拠る。虚構の二月十一日を「建国の日」とする歴史の偽造に基づく悪法だ。あの恥ずべき歌を国歌などとはとても言われない。 にもかかわらず、敢えて本コラムに山口瞳を紹介する所以を述べれば、いつもは駄洒落ばかり言って周囲を笑わせている横丁の隠居が、しかしこればかりは黙っていられませんと居住まいを正したようなところに、この発言の価値があるからだ。「君が代」についても前記のような弱点を議論に含んでいるにしても、歌わせたいがために口元のチェックまで指示した今日の大阪市長の異常さと対照されたい。立派に時代と切り結んでいよう。大逆事件の報に接しての永井荷風の態度がそうであったように、斜に構えて戯作者ぶるのは我がくに文士たちのあまり感心できない伝統だが、「もし作者が内に士人の気節清操を秘める底の人物でなくてはよく外に戯詠に遊びがたい」(石川淳『江戸人の発想法について』)とも言いうるか。 敗戦後の一時期、若き山口瞳は鎌倉アカデミアに学んだことがある。戦火を免れた寺を校舎として開校され、大学であるような違うような奇妙な学び舎であったというが、教授陣には三枝博音、吉野秀雄、林達夫、服部之総らがいた。 あるとき外から職員室を眺めていると、林達夫と服部之総が談笑している。学問の難しいことは自分にはわからないけれど、でも学問とはいいものだなと思った。当時を回想して、こんなことを書いた山口の文章がある。筆が真率なので、情景が目に浮かんでくるようだ。 (新聞『思想運動』2012年7月15日付け掲載コラム〔時代と切り結ぶ銘文・銘言〕)
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右の文章は、そんなに悪い出来ではないと自分では思っている。だから、ぬけぬけと11年ぶりに引っ張り出してきたのだ。文中「今日の大阪市長」とあるのは、当時の橋下徹のこと。最後のところの林達夫と服部之総が会話していた場面の紹介なんて気に入っている。その場面は山口のどの作品の中であったか、今さがしても見つからなかったが。 しかし、山口『卑怯者の弁』全文に対する評価としては、私のコラムには黙過してはおけない弱点があることにも、今回久しぶりに読み直してみて気づいた。私が引用した箇所の冒頭部分のあと、一呼吸おいてから、山口はこう問いかける。 「『日本よ国家たれ』と清水幾多郎先生は言う。国を守れと言う。(略)日本人を守れと言う。しからば日本人とは何であろうか。」 そうして、日本人の守るになど値しない醜い所業を列挙する。日本人男性の東南アジアへの買春ツァーなどである。 「こんな日本国を、こんな日本人たちを、どうやって、なんのために、命をかけて守る必要があるのだろうか。卑怯者である私は、ひそかに、そう呟くのである。」 この呟きには私も同感する。だが、当時の私は見逃してしまったけれど、「こんな日本人たち」の中に、つぎの例も入っているのは適切だろうか。 「国を売るという破廉恥な罪に問われている刑事被告人であるモトの宰相を、連続最高点で当選させる県民たち。」 この「モトの宰相」が田中角栄を、「連続最高点で当選させる県民たち」が角栄の選挙区だった新潟三区(当時)の有権者たちを指すのは言うまでもない。なるほど角栄は、ことに金銭面では“汚れた”政治家であったろう。しかし、彼が大量得票をしたことは有権者たちの民度の低さだけで片付くことだろうか。『卑怯者の弁』が書かれるより少し前、月刊誌『潮』の1977年2月号に掲載された本多勝一(当時朝日新聞記者)のルポルタージュ『田中角栄を圧勝させた側の心理と論理』からは考えさせられるところが多い。 ![]() 「・・角栄を圧勝させた側の心理と論理からすれば、コトは完全に正反対である。<落選させたら恥>なのだ。そしてそこには、民度の低さなどを笑う“都会人”の側にこそ反省を突きつける情況があり、果たして<政治意識>が低いのはどちらの側かを反問させるものがある。・・」 日本は戦後、アメリカで余った農産物の市場とされてきた。すると、国内に農業なんか育たないほうがいい。農山村は荒廃させられた。角栄の選挙区の中でも彼への支持率がとくに高かった地域の特徴は豪雪・過疎・出稼ぎ・嫁不足、そして自殺率が高いことだ。生き残るには「仕事」や「開発」を持ってこられる剛腕政治家に頼らなければ、とその地域の人びとが考えるのは必定であって、その構造には目を向けないで、ただ嘲笑うのは都会人の傲慢だ。本多のこのルポは『本多勝一ルポ短編集』(朝日新聞社1981年刊)に収められているが、やはり同書所収の『ムギとロッキード』という一編と併せて読むと、それらが書かれて半世紀近くたつというのに、その間には「ジャパン・アズ・ナンバーワン」なんて囃され(煽てられ)ながら、情況が根本的なところでは変わっていない(むしろ酷くなっている)ことに愕然たる思いにかられる。 (つづく)
by suiryutei
| 2023-08-28 08:32
| 文学・書評
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Comments(2)
![]() ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
鍵コメさん、ありがとうございます。
角栄個人もなかなか面白い人ですが、彼を押し上げた力、押しつぶした力というものを考えてしまいます。
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