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昨日に続いて、【いてんぜ通信】寄稿『酒呑みの弁』の、今日はその後半を転写します。 酒呑みの弁 ~山口瞳を論ず~ 【いてんぜ通信】寄稿① : 酔流亭日乗 (exblog.jp) ![]() 増田都子『昭和天皇は戦争を選んだ!』書評
その『思想運動』紙掲載コラムから数年たって、私はもう一度山口瞳に触れたことがある。そのときは山口を中心に論じたのではなくて、『昭和天皇は戦争を選んだ!』という本(増田都子著、社会批評社)の書評の中でだった。郵政労働者の交流誌『伝送便』の2016年3月号に寄稿した書評記事の全文をまた紹介する。
![]() ////////////////////////////////////////////////////////////// 去年秋の神田古本祭りで『還暦老人 憂愁日記』(新潮社)という本を手に入れた。小説家・山口瞳が『週刊新潮』に長く連載したエッセイ『男性自身』のうち一九八八年春から翌年夏までの分を単行本にしたものだ。拾い物をしたと思うのは、そのエッセイ連載時期(一九八八年~一九八九年)が昭和天皇の亡くなったときとぶつかっていることである。あの当時の時代の空気が伝わってくる。 ![]() この時期、山口は連載を日記風に書いている。その日付としては最後の天皇誕生日となった一九八八年四月二九日、彼は昭和天皇がかつて詠んだ、こんな短歌を紹介した。
思はざる病となりぬ沖縄をたづねて果さむつとめありきを
そして、こう解釈するのである。 「・・『たづねて果さむつとめありきを』のつとめは責任ということである。」 小説家は勘違いしてしまったのではないか。昭和天皇が自分の戦争責任を自覚していたかのように。現実の昭和天皇には戦争についての反省はいっさい無かった。公文書あるいは側近や親族のメモに残された彼の言動がそれを物語る。ではあの歌は? 四十七都道府県のうち沖縄だけには足を踏み入れられなかったのを残念だと言ったに過ぎぬ。 古本の話題から離れよう。去年、『昭和天皇は戦争を選んだ!』と題する本が刊行された(社会批評社)。著者の増田都子さんは元中学の社会科教師。今日の風潮の中に置けばかなり刺激的な題名であって、書棚に並べるのを尻込みする書店もあるだろうね。しかし、この本に挙げられた一級史料の数々は、題名が間違っているのでも大袈裟なのでもないことを証し立てる。昭和天皇にとって動きのとれない決め手である。 とはいえ山口瞳がしたような勘違いはかつて以上にこんにち広く流布している。まず戦後すぐ、占領軍マッカーサー司令部が人民革命の防波堤とすべく天皇を利用するため、天皇から戦争責任を解除して一切を東条英機ら臣下におしつけた。そうして戦後七〇年間、天皇=平和主義者という虚偽宣伝が繰り返されてきた。これに抗して昭和天皇の真姿を明らかにするのは命の危険を伴った。ついに近年「国民とともに歩んだ昭和天皇」なるウソ八百のコラムを載せた中学生歴史教科書が登場するにいたる。育鳳社版のそれである。ひところ世を騒がせた「新しい歴史教科書を作る会」は内紛続きで無様だが、その流れから出てきた。 現実の昭和天皇は対中でも対米でも開戦に積極的だったし、敗色が濃くなって和平をさぐる動きが出ればそれを拒んだ。そのくせ戦後は戦争責任を頬被りして臣下に押し付け(マッカーサーとの見事な協働!)、自らの保身のため沖縄をアメリカに差し出すことをマッカーサーに持ちかけさえした。かなりのところ絶対君主としてふるまった戦前戦中を立憲君主だから政治に関与しなかったとごまかす一方で、戦後になればなったで新憲法に規定された象徴としての範を超えて政治に口出していたのである。 今日の天皇は昭和天皇とはもちろん別人格だし、「いい人」らしいけれど、しかし君主が存在するというそのことが危ういのである。冒頭の山口の例のように人々の目を曇らせてしまうから。 (『伝送便』誌2016年3月号掲載)
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右の書評を書いた2016年といえば、私は還暦を過ぎて一年がたとうという頃。それで『還暦老人‥』なんて書名の本を古本屋で見つけて買ってみたのである。さて還暦を過ぎてからの山口瞳の仕事に『行きつけの店』という著作がある(TBSブリタニカ、1993年刊)。件の雑誌連載エッセイ『男性自身』を別にすれば、これが山口の生前最後の作品になった。私はこの本にはいささかの恩義がある。 ![]()
並木の藪の鴨なんばん
『行きつけの店』は、その題名のとおり、著者が馴染んだ酒場、小料理屋、宿屋、喫茶店などの情景を叙した作品である。登場する23の店舗のうち、蕎麦屋は浅草にある〔並木藪蕎麦〕一軒だけだ。 「・・・並木の藪へ行くと、それが冬時分であったら、まず、鴨南蛮のソバ抜きを注文する。これを鴨ヌキという。春とか秋とかには、天ぷらそばのソバ抜き、つまり天ヌキを頼む。黙っていても酒が出てくる。<蕎麦屋の酒が一番うまい>のだから仕方がない。・・」 こんな文章を目にしては、浅草に足を運ばずにいられましょうや。かくて、世紀が替わる前のある年の冬、私は働いていた郵便局の泊まり勤務が明けると、その足で浅草に繁々向かった。〔並木の藪〕は、雷門を背にした広い通りを少し歩くと、通りに面してさりげなく暖簾を出している。蕎麦屋ではお運びの女性を花番と呼ぶ。そのころ〔並木〕で花番をしていた女性が私の今の連れ合いだ。そうなるまでの紆余曲折を述べるのは省くけれども、『行きつけの店』を読まなければ、後に連れ合いとなる女性と知り合うこともなかった。 (了) ![]()
by suiryutei
| 2023-08-29 08:07
| 文学・書評
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