新人事制度 大阪での報告①~③
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このところ寝る前に数ページずつめくっている大岡昇平晩年の公開日記『成城だよりⅢ』の、1985年5月4日の記述に、こうある。 「・・マッサージ師にまた肉落ちた、歩かないといけないよ、とひやかされる。これよりは散歩を第一義とすべし。」 この年、大岡は76歳である(1909-1988)。 寝る前に読んで、このごろ酔流亭も運動不足なのに対して強迫観念を植え付けられたのだろうか。誰かに「もっと歩け」と説教される夢を一昨日みた。説教してくれたのは誰なのかはハッキリしない。 そこで、昨日も今日も、朝、起き抜けに少し歩いた。午前6時前後、30分ほどだ。これくらいの時間なら、太陽に照りつけられるといった感じでは、まだない。 今朝は、前にかかりつけていた医院のほうに、ふと足が向いた。 (今朝6時過ぎ、道端で) いま68歳の酔流亭が30代の初めから50代なかばくらいまで、二週間に一度通って、胃の薬を処方してもらっていた。先生ご夫婦は、酔流亭より二回りくらいの年長であったろうか。夫人が窓口で会計を担当されていたから、先生より夫人と言葉を交わすほうが多かった。あるとき、診察を待っているあいだ持参した雑誌『世界』を読んでいるのを目に留めて、先生は加藤周一を敬慕しているといった話をしてくださった。加藤は医者でもあった。 それから一層よく言葉を交わすようになった。小説家では井伏鱒二がお好きだという。酔流亭からは『伝送便』誌に書いた雑文のコピーなんかを差し上げることもあった。 10数年前、高齢を理由に廃業された。 医院は我が家から歩いて10分たらずの場所だが、以来そちらの方向に足が向くことは滅多になかった。年賀状のやり取りはずっと続いたけれども、高齢になったから年始の挨拶はこれが最後という賀状を頂いたのは3年ほど前であった。 さて今朝ひさしぶりに医院があったところに来てみたら、まだ新しい、建売らしき住宅が2棟ならんでいる。先生ご夫婦は引っ越されたようだ。息子さんが一人いたが、30代で夭折している。老後を過ごす施設にご夫婦で移られたのかもしれない。 同じ町に住む人も少しずつ入れ替わっていく。
by suiryutei
| 2023-09-11 08:43
| 身辺雑記・自然
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