新人事制度 大阪での報告①~③
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【いてんぜ通信】の第12号(23冬号)を送っていただいた。64ページと、読みでのある冊子。編集発行の三上さんと校正担当の田中さんに感謝するばかりだ。 いつもありがとうございます。 ![]() この号に『最後の病状報告(のつもり)、積読の効能』という文章を寄稿した。6000字ほどあるので、今日と明日に分けて転写します。 ![]() このところずうっと、この寄稿において自分の病状報告をさせてもらっている。他人の病気の話なんて読まされる側にとっては迷惑だろう。でも、書く側としては、自分について三か月に一度「定点観測」するいい機会。そんなわけで、今回もそこから始めます。 内視鏡をのむ 10月4日に上部消化管内視鏡検査というのを受診した。胃カメラだ。先端に小型カメラを装着した管を口ないし鼻から入れていって食道を通って胃に到達させ、胃壁を観察する。これが下部消化管の場合は内視鏡を肛門から入れて腸を観察する。ここ二年の間に両方を何度も経験した身として言えば、下部消化管つまり肛門からのほうがラクである。腸が捻転してガスが溜まった場合なんか、肛門から入った内視鏡によって捻じれが整復されガスがすうっと抜けていくときなんてむしろ快感と言うに近い。もっとも、これは個人差があるようだから自分の体験を絶対化するわけにはいかない。下部消化管の場合も内視鏡の挿入にずいぶん苦労する患者もいると聞く。 さて今回は3月に胃癌を摘出して半年後の検査なので、内視鏡は口から入っていく。検査前の問診で鎮静剤の使用を希望するかどうかを訊かれた。迷うところだ。生まれて初めて胃カメラをのんだのは30年ほど前で、無事検査を終えたとはいえ、けっこう辛かった記憶がある。3月に癌を摘出したときは、なにしろ手術だから点滴で鎮静剤を投与されていた。あのときみたいに、意識ボンヤリ、うつらうつらしている間に全て終わってくれれば、それがラクであるには違いない。いっぽうで、一定の時間を要する手術ではなく、短時間の検査(順調なら5分ほどで済むと聞かされた)で鎮静剤なんて要らないんじゃないかという気もする。はて手術の前、1月に胃カメラをのんだときはどうだったろうか。その検査で癌が発見されたのだ。そのとき鎮静剤を希望したかどうか記憶がはっきりしない。 しかし、30年ぶりに胃カメラをのんだそのときとは違って、今やこれが今年に入って三度目というベテランで私はある。鎮静剤なしでやってもらおうじゃないか。そう腹をくくった。 検査室に入室し、ベッドに腰を下ろす。まず応対したのは目元のぱっちりした若い女性看護師である。マスクで顔の下半分は覆っていても、目元の明るさはわかる。笑顔で 「よろしくおねがいします」 それはこちらの言うセリフで、もちろん私もすぐ「よろしくおねがいします」と返したが、その一言で検査前の硬い気持ちが和らいだ。看護労働者の人をケアする力というのはたいしたものだとは、冬と春に入院していたときも思ったことである。 内視鏡を入れにかかるのはヒゲ面の男性医師。こちらも若い。彼がヒゲ面とわかったのは、作業を始める前にマスクを付け直す仕草をしたからである。 私のほうはマスクを外し、小さな紙コップ一杯の液体を飲む。喉に麻酔を効かせる薬である。すぐ飲み込んではならず、喉の奥のほうにしばらく溜めておいてから飲む。これがなかなか難しくて、うまくできないと麻酔の効きが悪く、胃カメラが喉を通っていくときちょっと辛いことになる。私が30年前初めて胃カメラをのんだとき辛かったのは、これを喉の奥にうまく溜めておけず、すぐゴックンしてしまったからだと思う。 左腹を下にしてベッドに横たわった。いよいよ胃カメラが入ってくる。上手にのみ込むコツは、身体の力を抜いて、ゆっくりと鼻から息を吸い、口から吐き出すこと、唾液は飲み込まずに口の端からダラダラ垂れ流していく。顔のところにシートをあてがってあるから、かまわずどんどん垂れ流す。うっかり唾液を飲もうとするとオエッとくる。 カメラが胃まで降りていって医師による観察と撮影が始まる。スクリーンがベッド横にあって受診者も視ることができるけれども、私は自分の胃の中なんて実写で視る気がしなかった。万一妙なものが目に留まって、カメラの管が喉を通っているのに息をのむことになっては困る。それこそオエッときてしまう。後で主治医に写真を見せてもらえばいい。 しばらくして「〇〇先生を呼んで」というヒゲ面男性医師の声が聴こえた。異常事態発生か。じき別の男性の声で「ああ、これこれ」と言うのが聴こえた。駆けつけた〇〇医師だろう。3月に癌を摘出した痕がすぐには見つからず、二人で確認したということのようであった。受診者を驚かすなよ。 検査を終えて言い渡されたのは、その日は飲酒を控えること、風呂もシャワーだけにして湯ぶねには浸からないこと、激しい運動はしないことであった。検査のため組織の一部を切除したので、血行がよくなる行為はしてはならないという。出血するということだろうか。風呂や激しい運動はともかく、飲酒がダメというのは辛かった。検査が無事終わったのを祝って、その夜は、まだ病人だからおおいにとはいかなくとも、ちょっとくらいは飲んでいいだろうと思っていたのに。 正直に書いてしまおう。その夜、私はその禁酒令を厳格には守れなかった。春に退院して以降、私の酒量は一日一合半である。盃に五勺の酒を満たし、それを三杯だ。その夜は、その盃に半分だけ酒を注いだ。その一杯こっきりである。一合の四分の一。これくらいを時間をかけてゆっくりゆっくり飲むなら、血行にも大きな影響を及ぼさないのではないか。素人の考えることだけれど。 しかし、その量だと、飲むというより酒を舐めるという感じになる。舌の上で転がして味わってから、そのあと水をたっぷり飲む。 私が酒の味を覚えた半世紀前といえば、ウィスキーの全盛期であった。「とりあえずビール」の後たいてい誰もがウィスキーの水割りをやった。それを私は内心「酒を水で薄めて飲むほど貧乏しちゃいねえや」と毒づいていたのに、その夜の私は、酒をまさに水で薄めに薄めて飲んだ(舐めた)のである。銘柄は島根の地酒〔李白〕だった。『飲中八仙歌』において「李白一斗詩百篇」(李白は一斗の酒を飲み干すあいだに百篇の詩を作る)と同時代の杜甫に詠まれた大詩人にして酒仙の李白。その名を冠した酒をそのように舐めるしかなかったとは。 10月24日、検査結果を聞きに行った。〝シロ“であった。胃の写真も見せてもらった。主治医によれば胃炎の気味はある。まあキレイなものだ。癌の再発は、とりあえずない。 (つづく)
by suiryutei
| 2023-11-28 06:43
| 文学・書評
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